2012年01月23日

大川小学校(その2)、午後1時20分

【更新日:2013年4月11日】

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「有限会社 大土運輸 宮城(営)3770」
トラックが頻繁に通る。

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「古峯神」の下に置かれているのは「カマ神」。宮城県では「釜男」とも言われる。
「カマ神」については次のサイトが参考になる。
http://www.nobi.or.jp/kamagami/index.html

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新しい石材で囲まれた一画が設けられていた。
小さな仏堂の建立でも予定しているのだろうか。

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「忠魂」

「 慰霊
 日清戦争
 (2名)
 日露戦争
 (8名)
 大東亜戦争
 (第1段 15名
  第2段〜第5段 各29名
  第6段 21名
  合計152名)」 

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「北上追波漁業協同組合
 魚介類之供養塔」

「鳥獣之霊供養塔」

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「   天下泰平       長谷山
 奉転読大般若経六百巻 部落安全専祈願
    日月晴朗       観音寺」

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「 愛馬碑
 鬣振ヒ嘶高ク征途ニ上レル軍馬即チ皇軍ノ一員トシテ能ク将兵
 艱苦ヲ共ニシ或ハ敵陣ヲ馳駆シ馬蹄ニ蹂躙シ或ハ車軸ヲ没ス
 ル泥濘湿地ニ断崖ニ人馬一体トナリテ重任ヲ果シ天晴軍馬ノ大
 和魂ヲ発揮シ遂ニ身命ヲ皇国ニ捧ク而モ敢テ告クルナク訴フル
 ナシ実ニ忠勇義烈ノ無言ノ勇士沈黙ノ戦士タリ而シテ人ヲシテ
 感泣セシムル美談佳話亦多ク将兵ト共ニ武勲ハ永遠ニ滅スルコ
 トナシ
 頃日本村軍人遺族一同ガ相図リ愛馬ノ霊魂ヲ慰メ冥福ヲ祈ラ
 ンガ為之ニ此ノ碑ヲ建立ス洵ニ時宜ニ適スル美挙ト言フヘク以
 馬革裏屍英霊亦地下ニ莞爾タルヘシ冀クハ忠魂永ヘニ皇国ノ守
 護神タランコトヲ 発企者余ニ碑文ヲ需ム辞ス可カラス乃チ不
 文ヲ撰ス
   昭和十六年八月
     大川国民学校長正七位勲六等佐藤啓治撰文
     大川村遺族一同 建立
     発起人 鈴木清松
     同   紺野栄治
     同   佐々木馨
     同   坂下清四郎
     同   佐々木きくの」

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「  北上追波漁業協同組合
 魚貝類之供養塔
   釜谷支部

   支部長
   会計
   役員
   組合員
  平成六年六月吉日」

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「釜谷の街並み」碑が新設されていた。

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多数の住宅が並ぶ写真を石に刻んでいる。
なお、映っているのは撮影している私の姿。

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交差点から新北上大橋に向かう。
北上川(追波川)と並行して富士沼を源とする富士川が流れており、手前の橋は富士川の上に架かっている。

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鳶の群れ。

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拡大して数えたところ、14羽の鳶がいた。
大川小学校の裏山には更に多くの鳶が飛んでいた。

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「北上川」。

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上流方向。

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下流方向。
北上川(追波川)と富士川の間の堤防。
「関係者以外立入り禁止」

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「三角地帯」の岩塊を北側から見る。
裏側(富士川に面している側)にも石碑の跡らしきものがある。

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ここで引き返す。

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交差点に戻る。

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「山形(営)2088」

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宮城県警のミニパト。
警察車両も時々通る。

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裏側に回って、倒れた石碑に近づく。
表面を見ようと思ったが、隙間は狭く、持ち上げるのも全く無理なので断念する。

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倒れていた石碑の土台か。

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大川小学校(その1)、午後1時10分

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空には沢山の鳶が飛んでいた。
瓦礫の山、新北上大橋、大川小学校の裏山の上空など、いくつかのグループに分かれ、合計40〜50羽程度の鳶が悠然と旋回している。
大川小学校には何度も来ているが、鳶の群れを見たのは初めて。

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新北上大橋。

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望遠レンズで撮影したものをトリミングで拡大。

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慰霊碑の横を長面浦方面に向かうトラックが頻繁に通行する。

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長面浦方向。
正面の白い建物は釜谷診療所。

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「三角地帯」へ向かう。

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坂を上り、「三角地帯」から振り返る。
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2011年12月06日

釜谷・観音寺、午後0時45分

観音寺には大般若経六百巻が所蔵されていたが、津波で流出し行方不明。以下、「大般若経巡行」に関する『石巻河北新報』の記事を引用。リンク先には掲載日が「2010年1月4日」とあるが、これは2011年の誤記。

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■経文担ぎ男衆練り歩く

石巻・釜谷 「大般若経巡行」
伝統300年正月行事 家内安全、息災祈る

 石巻市釜谷地区に、江戸時代から伝わる正月行事の「大般若経(だいはんにゃきょう)巡行」が3日に行われた。跡取りの男性たちが大切な経文が入った箱を担いで地域を練り歩き、家内安全や無病息災を祈願した。
 OB5人を含む釜谷神風講の住民45人がだんな衆姿の着物に草履をはいて参加。経文を安置する地元の観音寺で清めの儀式をした後、600巻の経文を分納した6個の箱を担いで出発した。威勢の良いおはやしを響かせ、30キロを超える重さの箱を担ぎながら3時間ほどかけて練り歩いた。
 巡行の先頭を行く獅子舞が約100戸ある民家の神棚の前で舞を披露。獅子の後を追い掛けてきた大勢の子どもたちは、各家でお菓子などをもらい大喜びだった。
 巡行は約300年前の正徳年間(1711〜16年)、同市雄勝地区の名振浜や大須浜の漁民が観音寺に経典を寄進したのが始まりとされる。経文を担ぐと病気にならないという言い伝えがある。
http://www.sanriku-kahoku.com/news/2011_01/i/110104i-hannnya.html

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中央、奥が釜谷・観音寺。9月に見た光景と全く変化がない。県道238号線より。
http://chingokokka.sblo.jp/article/51374963.html

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釜谷霊園の手前から新北上大橋を望む。

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同一場所から大川小学校を望む。

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駐車する車の中央の奥が観音寺のある谷。

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9月には警視庁機動隊が行方不明者を捜索していた場所。

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同上。

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長面浦方面。小さな鳥居の先に釜谷霊園がある。

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北上川方向への枝道。対岸、奥の白い建物は「にっこりサンパーク」。長面浦へは右の道を行く。

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長面浦方面。左手は地図では広大な平地だが、完全に水没。



posted by 神宮威一郎 at 12:45| Comment(0) | 大川小学校とその周辺

大川小学校、午後0時30分

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長面浦方面に向かう宮城県警のパトカー。応援の他県の警察は撤収した模様。

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9月の時点では種類毎に分別された瓦礫の山があったが、殆ど撤去された。

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慰霊の母子像。以下、共同通信記事を引用。
「東日本大震災の津波で74人の児童が死亡・行方不明となった宮城県石巻市の大川小学校に、山梨県を拠点に活動する彫刻家浜田彰三さん(67)から慰霊の母子像が寄贈され、23日に除幕式が開かれた。
 子どもを慈しむ母親の姿を表現した石像で、台座を含め高さ約1・8メートル。大川小の校舎前に設置された。除幕式で浜田さんは「亡くなった子どもや先生の魂が安らかになることを願って彫った。遺族のつらい思いを像に託してもらえたら」とあいさつした。
 5年生だった次女千聖さんを亡くした紫桃隆洋さん(47)は「お母さんが天国の子どもたちをずっと見守ってくれているようだ。大事にしたい」と話した。
 式には遺族のほか地元選出の安住淳財務相らも出席。大川小遺族会の武山剛会長は「全員が家族の元に帰れるように、行方不明者の捜索を続けてほしい」と訴えた。
 大川小では児童108人のうち70人が死亡、4人が行方不明。教職員も13人中9人が死亡し、1人の行方が分からない。
http://www.kyodonews.jp/feature/news04/2011/10/post-5424.html

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自衛隊の捜索活動を撮影した写真を載せていた掲示版。9月の時点で既に色褪せていたが、上半分は除去された。

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「三角地帯」を振り返る。

posted by 神宮威一郎 at 12:30| Comment(0) | 大川小学校とその周辺

新北上大橋・南側、午後0時30分

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新北上大橋の南側の交差点。
左が雄勝方面、右の川沿いが桃生方面。

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右は大川小学校の横を通って長面浦方面。

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大川小学校の児童が避難の目標にした地点。
地元での通称は「三角地帯」。
大川小学校・中学校卒業生の有志が運営するサイト、「オリオンの311の星」に「三角地帯」の説明と付近の往時の風景を撮った多数の写真が載っている。
http://www.orion311.com/
http://www.orion311.com/kamayaphoto.htm

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9月11日の時点では石碑類の一部は横たわったまま、一部は不規則に立てかけられていたが、新たにコンクリートの土台が作られ、整然と並べられていた。

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向かって左は「明治三十五年五月建立」の「古峯神」碑。
栃木県を発祥地とする古峯神社の石碑は東北地方に膨大な数が存在する。
ただし、名前に反し、その大半が明治30年代以降の比較的新しいもの。
中央は忠魂碑。右は日清戦争・日露戦争・太平洋戦争の戦没者慰霊碑。

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向かって左より
「北上追波漁業協同組合釜谷支部 魚貝類之供養塔 平成六年六月吉日」
「鳥獣之霊供養塔 昭和三十七年三月十三日 河北町漁友会大川支部」
「庚申塔」

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左から二番目も庚申塔らしいが読めず。ついで「湯殿山」「馬頭観世音」。

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中央、「奉転読大般若経六百巻 部落安全専祈攸 天下太平 日月晴朗 長谷山観音寺」。
東北地方では「部落」は集落の意味で普通に使われている。

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左は碑銘のくずし字が読めず。読める方は教えてください。
右は「愛馬碑」。

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左は「永安碑」、右は「韮島史跡」。

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水面は北上川(追波川)ではなく、富士川。
白鳥飛来地として有名な富士沼から北上川と並行して流れる。

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大川小学校。

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posted by 神宮威一郎 at 12:30| Comment(0) | 大川小学校とその周辺