「有限会社 大土運輸 宮城(営)3770」
トラックが頻繁に通る。
「古峯神」の下に置かれているのは「カマ神」。宮城県では「釜男」とも言われる。
「カマ神」については次のサイトが参考になる。
http://www.nobi.or.jp/kamagami/index.html
新しい石材で囲まれた一画が設けられていた。
小さな仏堂の建立でも予定しているのだろうか。
「忠魂」
「 慰霊
日清戦争
(2名)
日露戦争
(8名)
大東亜戦争
(第1段 15名
第2段〜第5段 各29名
第6段 21名
合計152名)」
「北上追波漁業協同組合
魚介類之供養塔」
「鳥獣之霊供養塔」
「 天下泰平 長谷山
奉転読大般若経六百巻 部落安全専祈願
日月晴朗 観音寺」
「 愛馬碑
鬣振ヒ嘶高ク征途ニ上レル軍馬即チ皇軍ノ一員トシテ能ク将兵
艱苦ヲ共ニシ或ハ敵陣ヲ馳駆シ馬蹄ニ蹂躙シ或ハ車軸ヲ没ス
ル泥濘湿地ニ断崖ニ人馬一体トナリテ重任ヲ果シ天晴軍馬ノ大
和魂ヲ発揮シ遂ニ身命ヲ皇国ニ捧ク而モ敢テ告クルナク訴フル
ナシ実ニ忠勇義烈ノ無言ノ勇士沈黙ノ戦士タリ而シテ人ヲシテ
感泣セシムル美談佳話亦多ク将兵ト共ニ武勲ハ永遠ニ滅スルコ
トナシ
頃日本村軍人遺族一同ガ相図リ愛馬ノ霊魂ヲ慰メ冥福ヲ祈ラ
ンガ為之ニ此ノ碑ヲ建立ス洵ニ時宜ニ適スル美挙ト言フヘク以
馬革裏屍英霊亦地下ニ莞爾タルヘシ冀クハ忠魂永ヘニ皇国ノ守
護神タランコトヲ 発企者余ニ碑文ヲ需ム辞ス可カラス乃チ不
文ヲ撰ス
昭和十六年八月
大川国民学校長正七位勲六等佐藤啓治撰文
大川村遺族一同 建立
発起人 鈴木清松
同 紺野栄治
同 佐々木馨
同 坂下清四郎
同 佐々木きくの」
「 北上追波漁業協同組合
魚貝類之供養塔
釜谷支部
支部長
会計
役員
組合員
平成六年六月吉日」
「釜谷の街並み」碑が新設されていた。
多数の住宅が並ぶ写真を石に刻んでいる。
なお、映っているのは撮影している私の姿。
交差点から新北上大橋に向かう。
北上川(追波川)と並行して富士沼を源とする富士川が流れており、手前の橋は富士川の上に架かっている。
鳶の群れ。
拡大して数えたところ、14羽の鳶がいた。
大川小学校の裏山には更に多くの鳶が飛んでいた。
「北上川」。
上流方向。
下流方向。
北上川(追波川)と富士川の間の堤防。
「関係者以外立入り禁止」
「三角地帯」の岩塊を北側から見る。
裏側(富士川に面している側)にも石碑の跡らしきものがある。
ここで引き返す。
交差点に戻る。
「山形(営)2088」
宮城県警のミニパト。
警察車両も時々通る。
裏側に回って、倒れた石碑に近づく。
表面を見ようと思ったが、隙間は狭く、持ち上げるのも全く無理なので断念する。
倒れていた石碑の土台か。