2012年04月21日

小浜・千石稲荷神社、午後3時35分

波切不動尊への参道を引き返し、千石稲荷神社へ向かう。

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「 聖徳太子尊堂建築
 正一位千石
 稲荷神社本殿新築 屋根替記念碑
  波切不動尊堂屋根替 参道」
 
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左より「古峰神社」「太神宮」「大神宮」「津神社」。

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「津神社
 平成十四年四月吉日
 小浜行政区一同
 氏子一同」

波切地蔵尊近くにあった石碑には「津神社鎮座跡地」とあり、他の文面は同じ。
津神社のご神体を波切地蔵尊近くの岬突端の上からこちらに遷したということであろう。

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木造の本殿にも特に損傷は見られない。

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「山神」

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中央から右に、「湯殿山」「甲子塔」「庚申供養塔」「奉納巳待碑」。

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桜は満開。

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車を置いた太田川の堤防沿いの道路に戻ることにする。

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「この地点館跡」
坂を登っている時には気づかなかったが、文化財の所在を示す木柱がある。
手前にも何か書いてあるが、読めず。(要拡大)

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少し戻って裏側を見てみたが、こちらも薄くて読めず。

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中央は太田川に架かる常磐橋のあった場所。
現在はコンクリートの橋脚のみ。

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太田川河口の水門。

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常磐橋跡。

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上流方向へ堤防の上を進む。

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上の写真の撮影地点と同じ位置から少し右。

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更に右。
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小浜・波切不動尊、午後3時20分

多珂神社から太田川沿いに原町区小浜まで移動。

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奥の高台には「大内新興化学工業」の原町工場があり、同じ小浜地区内ではあっても同工場は通常通り運営され、大勢の社員が通勤していた。
手前は警戒区域に入れられてしまったので、復旧・復興からほど遠い状態のまま。

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大人が話し込む横で、少女が退屈そうにしている。

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瓦礫の中で遊んでいる少女。

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神出鬼没。

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高台に移動して、大人たちが話し合っていた場所を見る。

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神社の入り口らしい場所がある。

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椿が咲いている。

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井戸用の錆びた手押しポンプがある。

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また、椿。

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海に出る。

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右手にはコンクリートのお堂がある。

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「津神社鎮座跡
  平成十四年四月吉日
  小浜行政区一同
  氏子一同」

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石碑の前から海を見る。

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少し右手。

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海面に黒い鳥が沢山浮いている。(要拡大)

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コンクリートのお堂に移動。
横から見ると無事のようだったが、中には何もなかった。

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「波切不動」

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南側からお堂を見る。

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少し離れた場所から。
周囲には平場がいくつかあり、かつては不動尊を中心に多くの堂舎があったのだろうか。
見晴らしの良い場所なので、あるいは宗教的ではない別の施設だったのか。

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お堂の周りも、あちこちに椿が咲いている。
posted by 神宮威一郎 at 15:20| Comment(0) | 南相馬市原町区

高・多珂神社、午後2時35分

多珂神社はギリギリ手前で警戒区域入りを免れた。
平成23年度の相馬野馬追では、本来、相馬小高神社で行うべき「上げ野馬神事」が規模を縮小して多珂神社で行われた。
以下、『福島民報』2011年7月26日より引用。

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上げ野馬神事で神馬奉納 相馬野馬追の最終日

 東日本大震災の犠牲者への鎮魂と復興を願って行われた「東日本大震災復興 相馬三社野馬追」の最終日は25日、南相馬市原町区の多珂神社で古式にのっとった「上げ野馬神事」が行われた。
 本来、神事が行われる小高区の相馬小高神社は警戒区域内にあるため、会場を移して実施された。
 相馬行胤総大将と、全域が警戒区域に含まれる小高郷と標葉(しねは)郷の騎馬会員82人が県内外の避難先から集結。警戒区域から持ち出した陣がさや陣羽織を身に着けて参加した。
 小高郷と標葉郷の出陣式では、津波の犠牲になった小高郷騎馬会員の蒔田匠馬さん(20)の遺影を前に慰霊の礼螺(れいがい)が吹かれた。「上げ野馬神事」では白装束に身を固めた御小人(おこびと)が裸馬3頭を神社に運び、1頭を神馬(しんめ)として奉納した。
 多珂神社と相馬小高神社の宮司を務める相馬胤道さん(72)は「伝統を継承したいという多くの人の思いに支えられた。境内のにぎわいに今日の日を迎えられた実感が湧き、涙が出るほどうれしかった」と言葉を詰まらせた。
 小高郷騎馬会長で、相馬野馬追の武者を束ねる五郷騎馬会長の本田信夫さん(71)は避難先の会津若松市から駆け付けた。「原発事故で相双地方は分断されたが、規模を縮小してでも開催できたことで、野馬追が生活の一部になっていることをあらためて感じた。来年こそは五郷そろっての出陣を果たしたい」と力を込めた。
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/07/post_1611.html

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多珂神社に向かう前に近くのJR磐城太田駅に寄ってみた。
常磐線は2011年12月21日より「原ノ町駅〜相馬駅」間で再開されているが、磐城太田駅は範囲外。
しかし、駅は小奇麗になっている。

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原ノ町駅方面。

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小高駅方面。

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駅前の桜は満開。

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「延喜式内名神大社 多珂神社」
太田川手前の巨大な鳥居。

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誰もいない駐車場に車を止めて参道に向かう。
石灯籠が崩れている。

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石橋奥の石灯籠も顛倒。

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子供の狛犬の顔が恐すぎる。

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桜は満開。

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梅も満開。
白い花びらが風にハラハラと散って、美しい。

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鳥居上部が欠けている。
多珂神社には1月3日にも参詣したが、境内の様子は前回と特に変わっていない。
2011年7月に「上げ野馬神事」を行うに際して境内を整備したのであろう。

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「原町市花いっぱい推進事業」

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鳥居の手前は太田川にかかる橋。

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駐車場に戻ることにする。
白い車の奥に「立入禁止」の表示板がある。

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牛小屋。

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黒い牛がうっそりと佇んでいる。
前回訪問時(1月3日)にも同じ牛がいた。

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「立入禁止」の警告は現在は失効しているが、防犯上の理由から、南相馬市は多くの地点で道路を封鎖しているガードレールと警告表示をそのまま残している。
posted by 神宮威一郎 at 14:35| Comment(0) | 南相馬市原町区

益田・八坂神社、午後2時20分

原町区上太田の北野天神社から東方向に戻り、磐城太田駅に向かう途中、右手(南側)の丘に神社が見えた。

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「八坂神社」

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桜は七分ほどか。
木を伐採するチェーンソーの音が響いている。

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長い石段を登ると、狛犬が迎えてくれた。
ただ、前列の左側の狛犬が存在しない。

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拝殿・本殿とも特に損傷は見られないが、左側の千木が落ちたようだ。

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新旧の狛犬はいずれも倒れたのだろうが、丁寧に補修がなされている。

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こちら側は古い狛犬が存在しない。

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手水舎も丁寧に補修されている。
新しい木材の部分が多いので、おそらく倒壊したのだろう。

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左、「青麻大権現」。
中央、「黄金山神社」。
右は読めず。

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神社の裏と北側の斜面は大規模な伐採が行われている。

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伐採は震災と関係があるのだろうか。
posted by 神宮威一郎 at 14:20| Comment(0) | 南相馬市原町区

上太田・北野天神社、午後2時

原町区鶴谷の長松寺から県道120号線(浪江鹿島線、陸前浜街道)に出て500メートルほど北に行くと、旧警戒区域を出て、「緊急時避難準備区域」だった地域に入る。
「緊急時避難準備区域」は緊急時に屋内退避あるいは別の場所に避難する必要がある地域で、日常生活を続けることが可能だった。
そして、2011年9月30日に「緊急時避難準備区域」指定も解除された。

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旧「緊急時避難準備区域」に入って700メートルほど進み、県道169号線(磐城太田停車場線)との交差点を西方向(JR常磐線の磐城太田駅とは反対方向)に2キロメートルほど進むと神社があり、祭りの準備をしているようだったので寄ってみることにした。
神社の少し先に車を止めて、歩いて神社に向かう。

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南方向。
警戒区域とは異なり、地面が緑色をしている。
雑木林の丘陵を越えた先の警戒区域内とは雲泥の差。

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「天満宮」の額がある。
幟を立てる準備をしている。

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桜は満開。

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凝った造りの立派な社殿。

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枝垂桜も満開。

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「北野天神社」

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「 農魂
 当矢川原地区は西に阿武隈の連山を望み東に太平洋に五粁の地点にあり南北一粁東西五粁にまたがる細長い部落で中央に市道が走り先人の永年に亘る努力により土地肥沃にして非常に食味のよい米が出来る水田地帯である太田川の氾濫によりしばしば用水路の一部が南に北に移動ししかも砂礫層のため水不足の常習地帯で又圃場の区画も狭少形状錯雑耕地も分散し農作業上と維持管理に多大の労力の徒費と不便を余儀なくされて来た加えて近代大型農業機械の著しい普及導入による経営近代化に伴う農村環境の整備を一体として進めるには土地基盤整備事業の推進こそが最大の急務であるとの多数地権者の共通認識のもとにその方策について幾度となく検討を重ね関係諸機関の指導を得乍ら大多数の地権者の理解と協力のもとに昭和四十九年度に団体営圃場整備事業として着手したたまたま事業計画の変更及びオイルショックによる諸物価高騰の為め事業費も当初計画より大幅に増加するも委員はじめ地権者各位の熱意と努力によってこれを克服し圃場整備事業の終了後も県単事業及び昭和五十五年同六十三年両年度に亘る農業災害対策事業及び部落単独事業等により漸くこの一大事業も完成を見るに至った茲に長く矢川原の農魂を後世に伝えると共に地域農業の発展を希い記念碑を建立し関係各位の芳名を誌し記念とする
 平成二年六月吉日
  揮毫 農魂 原町市長門馬直孝 施工委員長 岡島利撰文」
最後まで読んでみて、何故、この文章には句読点がないのか、いささか不思議に感じる。
それなりのこだわりはあるのだろうが、かなり読みづらい。 

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「矢川原地区団体営圃場整備事業概要」

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幟が一本立った。
posted by 神宮威一郎 at 14:00| Comment(0) | 南相馬市原町区