2012年04月21日

相馬小高神社(その2)、午後4時20分

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相馬小高神社の拝殿前に戻る。
三脚を据えて写真を撮っている人がいる。

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「相馬小高神社」の懸額。

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鳥居を入って右側にある石灯籠。

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反対側から。

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左側の狛犬は土台から少し斜めにずれている。(要拡大)

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本殿の東側の石柵が崩壊している。

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「御神水」の前の石鳥居も上部が落ちている。

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「御神水」

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「奥の院」

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警戒区域解除初日の4月16日に参拝した時には左側の扉がはずれて下に落ちており、右側も開いていたが、きれいに修復されている。
「奥の院」であるので震災後に放置されていたとは考えられない。
4月3日の「爆弾低気圧」の影響だったのだろうか。

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本殿の北側・西側の石柵も崩壊。

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絵馬殿。

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絵馬殿内部。

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いつの間にか参拝者が少なくなった。
パトカーが来たが、直ぐに去って行った。

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駐車場に戻ることにする。

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小高川の堤防の桜も満開。
posted by 神宮威一郎 at 16:20| Comment(0) | 南相馬市小高区

相馬小高神社(その1)、午後4時10分

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「相馬野馬追」の三日目に「野馬懸」が行われる相馬小高神社。
参考:「相馬野馬追執行委員会」公式サイト
http://www6.ocn.ne.jp/~nomaoi/index.htm

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しきりに鳥居を見上げて、何か話をしている二人。

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上部の石材に走っているひび割れについて話している様子。

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携帯で桜の写真を撮る人。

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「福島県指定史跡 小高城跡」

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「小高城の由来
 小高城は相馬公の旧居城で紅梅山浮舟城と称した。この地には十二世紀の頃行方氏がいたといわれる。藩祖師常が軍功により文治中源頼朝から賜った地で鎌倉時代の末元亨三年四月重胤公下総国から移るに及んで嘉暦元年この城に拠る。建武三年三月次子光胤に命じて修築せしめ爾後相馬氏の本拠として南北朝の争乱に重要な位置を占め小高城攻防戦は相馬文書の外岡田大非山飯野文書等によつて史上明らかな事実である。
慶長二年にいたつて義胤公牛越城に移つたが同七年再び小高城に還り同十六年十二月二日利胤公中村城に移つた。重胤公よりここにいたるまで十一代二百八十余年間六萬石の城として続いたのである。小高城は小規模乍ら原形が保存されて居り台地の頚部を切りとつて空堀とし四周を削り堀及び池をめぐらし頂には土塁をめぐらした跡が見られ、よく古城の面影をとどめて居り中世城郭として注目すべきものがある。
昭和三十三年八月一日福島県史跡に指定さる。
指定地域 一七〇三七坪」

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桜の写真を撮る二人。

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熟慮を重ねた撮影ポイントなのだろう。

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女性四人組が同一方向を向いている。
視線の先は太平洋で、海が見えることに驚いていた様子だが、それが驚くべきことなのだろうか。
あるいは震災前には何か視界を遮るものがあって、その物がなくなって海が見えるようになってしまったことに驚いているのだろうか。
よく分からず。(要拡大)

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拝殿の正面に立つ。

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小高神社には警戒区域解除初日の4月16日に参拝済みであったので、この日は先に棚機神社に寄ることにした。
棚機神社は野馬懸祭場である広場の隅にあり、昭和12年に建立されたという。

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石鳥居が崩壊している。

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両側の灯籠の上部が崩れ、左側の狛犬が見えず、その先の石鳥居も上部が落ちている。

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左側の狛犬は後ろに倒れていた。

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こちらは無事だが、台座から少しずれている。

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扉が片方開いている。

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棚機神社から広場の北側の記念碑に向かう。
こちらの桜も美しい。

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「戊辰戦死」の後が読めず。
posted by 神宮威一郎 at 16:10| Comment(0) | 南相馬市小高区

2012年04月18日

村上・西谷地、午後5時

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村上第一排水機場の先に進むのはあきらめて、県道391号線を引き返す。
村上城址の西側、西谷地集落の入り口あたりで住宅跡から周囲を見る。

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同じ位置から少し左。
左手の小高くなっているところは村上城址の西側。

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越戸畑橋の手前に車を停め、県道391号線を歩いて少し戻り、集落の様子を見る。

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排水が全く進んでいない。

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左側、奥に村上第一排水機場。(要拡大)

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欄干に「こえとばたはし」とある。(要拡大)
「越戸畑」と書く。
奥は村上城址。

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越戸畑から南東、角部内海岸方面を見る。

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内陸側。
小高駅や相馬小高神社のある西方向。

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同じ位置から少し右。

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田んぼの中の赤い車が妙に目立っていたので、上の写真とほぼ同じ位置から少し拡大して撮ってみた。
posted by 神宮威一郎 at 17:00| Comment(0) | 南相馬市小高区

村上・村上第一排水機場(その2)、午後4時50分

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県道391号線のすぐ横。
東側。

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花が供えられている。

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近づいてみた。

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防波堤の近くの砂地にも花が見えたので、行ってみた。(要拡大)

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スタックした車の手前、県道391号線の東側にも、車の奥の西側にも多数の墓石がある。

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道路を渡って西側に行く。

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誰かが家名を確認しようとした跡。

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地蔵の頭部が置かれている。

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津波によってこのような状態になってしまった海辺の墓所は多数あるが、一年以上経って、多くの地域では復旧が進み、殆ど津波前の状態を取り戻した墓所も少なくない。
警戒区域の設定が合理的であればともかく、南相馬市小高区の海寄りの部分は放射線量が極めて低いことが早い段階で確認されており、いつまでも警戒区域にとどめておく必要は全くなかった。

参考:小林勇一氏「相馬郷土史研究」
2011年5月29日付「20キロ圏内の南相馬市小高区の強制退去の理不尽」
http://musubu2.sblo.jp/article/45582511.html
posted by 神宮威一郎 at 16:50| Comment(0) | 南相馬市小高区

村上・村上第一排水機場(その1)、午後4時30分

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警戒区域解除初日の4月16日に行けなかった村上海岸を見るつもりで再び村上城址を目指す。
小高区福岡にて東方向を撮影。
中央の森が村上城址。

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同じ地点から西方向。

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「通行止 相双建設事務所」

県道391号線(広野小高線)を北方向に進むと、村上第一排水機場の前で通行止めとなっていた。

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「立入禁止」

同じ時点から西方向の排水機場を見る。
後で調べると「村上第一排水機場」という名前だった。

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南西方向。

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南方向。
高台全体が村上城址。

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南東方向、大きく損傷した防波堤。
写真では分かりにくいが、防波堤の手前、右側に墓石が散乱している。

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北東方向。

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左側、「排水ポンプパッケージ 農林水産省」。
右側、「shindaiwa D450MK」とある。(要拡大)
「shindaiwa」は産業機械メーカーの(株)やまびこのブランドで、ディーゼルエンジン発電機らしい。
http://www.yamabiko-corp.co.jp/shindaiwa-japan/?cat=694

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奥は村上城址。

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排水機場から県道391号線に戻り、防波堤に向かう。
丸い石が一面に広がっている。

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道路脇の砂地でスタックした車に別の車が近づいた。

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防波堤から南方向。

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北方向。

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鉛筆のような形をしたコンクリート製の杭が沢山並んでいる。

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割れた墓石が沢山ある。
posted by 神宮威一郎 at 16:30| Comment(0) | 南相馬市小高区