
「相馬野馬追」の三日目に「野馬懸」が行われる相馬小高神社。
参考:「相馬野馬追執行委員会」公式サイト
http://www6.ocn.ne.jp/~nomaoi/index.htm
しきりに鳥居を見上げて、何か話をしている二人。

上部の石材に走っているひび割れについて話している様子。


携帯で桜の写真を撮る人。

「福島県指定史跡 小高城跡」


「小高城の由来
小高城は相馬公の旧居城で紅梅山浮舟城と称した。この地には十二世紀の頃行方氏がいたといわれる。藩祖師常が軍功により文治中源頼朝から賜った地で鎌倉時代の末元亨三年四月重胤公下総国から移るに及んで嘉暦元年この城に拠る。建武三年三月次子光胤に命じて修築せしめ爾後相馬氏の本拠として南北朝の争乱に重要な位置を占め小高城攻防戦は相馬文書の外岡田大非山飯野文書等によつて史上明らかな事実である。
慶長二年にいたつて義胤公牛越城に移つたが同七年再び小高城に還り同十六年十二月二日利胤公中村城に移つた。重胤公よりここにいたるまで十一代二百八十余年間六萬石の城として続いたのである。小高城は小規模乍ら原形が保存されて居り台地の頚部を切りとつて空堀とし四周を削り堀及び池をめぐらし頂には土塁をめぐらした跡が見られ、よく古城の面影をとどめて居り中世城郭として注目すべきものがある。
昭和三十三年八月一日福島県史跡に指定さる。
指定地域 一七〇三七坪」



桜の写真を撮る二人。

熟慮を重ねた撮影ポイントなのだろう。

女性四人組が同一方向を向いている。
視線の先は太平洋で、海が見えることに驚いていた様子だが、それが驚くべきことなのだろうか。
あるいは震災前には何か視界を遮るものがあって、その物がなくなって海が見えるようになってしまったことに驚いているのだろうか。
よく分からず。(要拡大)



拝殿の正面に立つ。

小高神社には警戒区域解除初日の4月16日に参拝済みであったので、この日は先に棚機神社に寄ることにした。
棚機神社は野馬懸祭場である広場の隅にあり、昭和12年に建立されたという。

石鳥居が崩壊している。

両側の灯籠の上部が崩れ、左側の狛犬が見えず、その先の石鳥居も上部が落ちている。

左側の狛犬は後ろに倒れていた。

こちらは無事だが、台座から少しずれている。

扉が片方開いている。

棚機神社から広場の北側の記念碑に向かう。
こちらの桜も美しい。


「戊辰戦死」の後が読めず。
posted by 神宮威一郎 at 16:10|
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南相馬市小高区