2012年01月02日

唐桑町・早馬神社(その1)、午後1時45分

早馬神社は気仙沼市唐桑町宿浦にある。
同神社の公式サイトはこちら。
http://hayama.jinja.jp/index.html

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臨時駐車場に車を置き、神社に向かう。

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海側、東方向。

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西方向。80戸ほどの住居が流されたという。

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「早馬山大権現」の幟が鮮やか。風が強い。

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手水舎。流失したため、新築。

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津波はこの石段を越え、本殿も高さ2メートルほどまで浸水したという。原口強・岩松暉著『東日本大震災 津波詳細地図(上)』によれば、早馬神社近辺の津波浸水高は浦地区で11.84m、竹の町川で16.54mとなっているが、早馬神社は地形的に似ている前者程度の浸水高だった模様。

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「撫で馬 万事うまくいきますように」。

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「祈 震災復興 KARAKUWA KESENNUMA 唐桑復興支援協同体」。

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「早馬(はやま)神社
  御祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
  例祭日 九月十九日
  神幸船祭 十月第一日曜日
    由緒
 建保五年(一二一七年)、鎌倉若宮(鶴岡八幡宮)の宮司であった梶原専光坊僧正景實(かじわらかげざね、梶原景時公の兄)は、正治元年(一一一九年)の源頼朝公の死亡、これを追うかのような梶原景時一族の没落、又、和田、畠山氏が滅んで行くのを見て世を憂い鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指して下り、その途中の当町石浜にたどりつきそこを切り開き住む。
 居宅の脇に一廟を建て、源頼朝公(鎌倉幕初代将軍)、梶原景時公(源頼朝公第一の家臣)、梶原景季公(景時公の子)の御影を安置し、一族の冥福を祈り菩提を弔う為、梶原神社を崇め奉る。
 建保七年(一二一九年)、一族の梶原三郎兵衛尉景茂の子である第二代大和守景永は景實僧正の後を慕いこの地に至り景實の猶子となる。
 景永は神職となり、早馬大権現別当として早馬山頂に社殿(奥宮)を建立する。山号は早馬山、寺号を漢曼寺と称す。
 正慶元年(一三三二年)、第五代大和守慶永の時、紀州熊野本宮より本地佛阿弥陀薬師観音を勧請し社殿を新たに建立。 以後、奥宮里宮合わせ数度の建て替えが行われる。
 本山派修験良厳院累世社務を掌り現宮司で三十三代目となる。
 仙台藩時代には伊達家の祈祷師として仕え九曜紋を授かる。
 明治、神仏分離令により早馬大権現より現社号に改め現在に至る。
 例祭・神幸祭には、神輿渡御、船祭り、献膳祭、打囃子、稚児行列が執り行われる。

  奥宮 早馬山頂(漁火パーク徒歩十五分)
  兼務社 八雲神社(越路 天王山頂)
  境内社 不動尊神社、金刀比羅神社、天照皇大神、若木神社、祖霊社」

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posted by 神宮威一郎 at 13:45| Comment(0) | 気仙沼市・旧唐桑町

2011年07月10日

気仙沼市唐桑半島、巨釜・半造、午後1時半

【更新日:2012年7月17日】

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「陸中海岸国立公園 唐桑半島 巨釜(おおがま)・半造(はんぞう)観光案内図」。
現在地は巨釜の駐車場、「御殿トイレ」の横。

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「前九年の役と唐桑浜里の伝説
 康平五年(一〇六二)、鎮守府将軍、源頼義、義家親子の官軍は出羽の豪族、清原氏の援軍を受けて奥六郡の長、安倍貞任の拠点小松の柵、衣川の柵を攻撃した。大軍団の前に柵は次々と打破られ、さすがの勇猛な蝦夷軍団も退却を余儀なくされ、安倍の将兵達は陸奥の山野に身を隠す事になった。
 此の時、衣川から見て東の海道の浜里である唐桑は奇岩怪石の連なる恰好の隠栖地であり、川崎の柵(岩手県東磐井郡川崎村)や、黄海の柵(岩手県東磐井郡藤沢町)から退散してきた兵員達は山海の産物に恵まれ、風光明媚な此の唐桑の地を安住の場所と定め身を潜めたものと言われる。
 此の為町内には前九年の役の縁の地名や名称が付いた場所が存在し、遥かな陸奥の海道伝説の浜里として現在でもそのロマンが語り継がれている。

矢止めの岩
 唐桑半島石浜沖合にある岩礁で、安倍軍を追ってきた八幡太郎義家は、朝日に映える此の岩をめがけて豪弓を絞り「南無八幡大菩薩」と唱え、矢を放つと矢は唸りをあげてこの岩場迄飛んだと伝えられている。

その他の伝説名称地
 蝦夷狩
 唐桑半島南部中井地区に残されている地名で前九年の役の大勝利に勢いづく源義家軍は敗走する安倍軍を徹底追撃し続け、浜里に身を隠す兵員達を此の地に集めて捕縛したと伝えられる。」

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駐車場にはボランティアの人たちの車が並んでいる。

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「 唐桑半島とリアスの森(魚つき保安林)
 唐桑半島は、海蝕によって生じた岩礁が多く、特に御崎、巨釜半造、大理石海岸は、緑濃いクロマツやアカマツ、照葉樹のヒサカキやシロダモ、ヤブツバキ等と絶妙なコントラストを見せてくれます。また、この陸中海岸は日本でも有数の漁場としても全国に知られています。
 その豊かな魚や貝を養うのに森林も一役を担っています。まず、(1)魚の餌のための養分を提供し、(2)程良い木陰をつくり、(3)土砂の流出を防ぎ、(4)水温を調整する等、森林の様々な働きが魚貝類を養ってきました。
 唐桑半島の海岸林のほとんどはこれらの大切な役割を果たす「魚つき保安林」に指定されており、特別に保護しています。雄大な自然に親しむとともに樹木や野生の動植物を大切にしましょう。
   宮城県・気仙沼市唐桑町」

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沖に浚渫船が浮かんでいる。(要拡大)

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折石に向かって坂道を下る。

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「折石 ORIISHI
 前にそびえる石柱は高さ16m巾3mの大理石で明治29年(1896)三陸大津波の時先端が2m程折れたことから折石と呼ばれている」

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今回の津波では特に損傷はなかった。

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拡大。

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「八幡岩」─八幡太郎義家にあやかってつけた名前、ということであろう。
近くに「貞任岩」もある。

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駐車場に引き返す。

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「千葉県勤労者山岳連盟 災害支援活動BC(ベースキャンプ)」
「東京都勤労者山岳連盟 気仙沼支援BC」
「栃木県勤労者山岳連盟 災害支援活動BC」
「日本勤労者山岳連盟 ボランティア活動BC」

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「海岸亭」

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「海岸亭」の前に置かれた「道祖神」。
東北に来た当初は「道祖神」が関東上信越と全く違うのに驚いた。

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「巨釜」の駐車場から「半造」の駐車場に移動。
近くの「園地広場」に「天理教災害救援ひのきしん隊」のテント群が並んでいる。

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同上。

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「巨釜」からも見えた浚渫船。

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「 トド岩
 トド(アシカ科)は太平洋北部に繁殖し、千島列島、北海道北部などで見られる海獣ですが、潮流に乗って南下したものがこの岩で身を休ませていることがあるのでトド岩と云われている。」

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笹浜漁港。

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「 二十五箇年後
 唐桑浜の宿という部落では、家の数が四十戸足らずの中、ただの一戸だけが残って他はことごとくあの海嘯で潰れた。その残ったという家でも床の上に四尺あがり、時の間にさっと引いて、浮くほどの物は総て持って行ってしまった。その上に男の児を一人亡くした。八つになるまことにおとなしい子だったそうである。道の傍らに店を出している婆さんの処に泊りに往って、明日はどことかへお参りに行くのだから、戻っているようにと迎えにやったが、
おら詣りとうなござんすと言って遂に永遠に還って来なかった。
この話をした婦人はその折十四歳であった。(以下略)
          (筑摩書房刊、柳田国男全集から)」

『雪国の春』の一節。
リンク先(中路正恒氏「世界という大きな書物」内)でこの続きの部分を読むことができる。
http://25237720.at.webry.info/201103/article_28.html
posted by 神宮威一郎 at 13:30| Comment(0) | 気仙沼市・旧唐桑町