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お宮、兵庫から仙台へ寄進 「高砂神社」つながりで
東日本大震災の津波で全壊した仙台市宮城野区蒲生の高砂神社に、仮本殿として「お宮」が寄進された。贈り主は、以前から交流があった兵庫県高砂市の高砂神社。同じ神社名の縁がつないだ温かい支援を、住民らは感謝の気持ちで迎え入れた。
仙台市の高砂神社は、仙台藩2代藩主伊達忠宗が貞山運河の工事成就を祈願して造ったほこらが起源。今回の津波で本殿や拝殿を失った。被災を知り、高砂市の高砂神社が支援を名乗り出た。
「被災者の生活を取り戻すためにも、まず心の復興を手伝いたかった」と小松守道宮司(55)。仙台市の高砂神社の小野修宮司(63)へ昨夏、お宮の寄進を打診した。
神社がある蒲生地区は被害が甚大で、すぐに受け入れられる状況ではなかった。昨年末、ようやく仮社殿を設置。震災から1年が過ぎ、仮本殿として受け入れる環境が整った。
3月末、トラックで運ばれた高さ約2メートルのお宮が、高砂神社本殿跡の石盤上に安置された。小松宮司や蒲生地区の住民が駆け付け、本殿の「復旧」をともに祝った。
小野宮司は「わざわざ遠い兵庫から運んでもらい、氏子や住民と一緒に感謝したい」と語る。
仙台の高砂神社は、周辺の地形が播州高砂浦(高砂市)に似ていたことから名付けられたと伝わる。神社名から周辺は高砂地区と呼ばれるようになり、今回の震災では高砂市から多くの支援を受けた。
蒲生地区を含む高砂地区町内会連合会の高橋実副会長(74)は「高砂つながりで今後も交流を深めたい。あちらで何かがあれば、今度はこちらがお返しをするのが真の絆だと思う」と話している。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20120414_13.htm
「お宮」の運搬と設置の様子は「三晃グループ」サイトに詳しい。
http://www.sankoh-group.com/sendai/sendai.html
中央、「馬頭観世音」。
この仮社殿は2011年12月8日に設置されたとのこと。
http://archive.shinsai.yahoo.co.jp/entry/60978/?sy=2011&sm=12&sd=8&ey=2011&em=12&ed=8&s=7
絶妙なバランスとは思うが、余震があればまた倒れそう。
「 高砂神社遷宮記念碑
高砂神社は万治二年伊達家二代目忠宗の命により 大代穀改佐々木只太夫が舟入堀(貞山運河)を開削のとき 工事の難行を憂ひて神に祈願し その加護により成就することができた その神徳に報ひるため社殿を建立し中綿津美神外四神を祀つた その後藩主がこの地を巡視のおり播州高砂浦に形象が似ておつたので社名を高砂神社と公称することゝとなつた 旧高砂村の地名もこの社名に由来するものである
松の美林に包まれた仙台市中野高松九十三番地の聖域に鎮座して多くの氏子崇敬者をあつめた三百有余年の歴史は昭和三十九年三月新産業都市仙台湾の指定により大きな変動を迎えることゝとなり県の仙台港新設計画が発表され同港用地として利用されることゝとなつた
このような時流のなかで地域開発のため本社も移転することを決意し 氏子崇敬者の努力援助ならびに宮城県の協力により 仙台市蒲生字町入十六番地の四十一の地を選び荘厳な社殿を建設し 氏子崇敬者の繁栄と新港の発展を祈念して遷宮したものである
昭和四十七年十月二十五日 宮司 小野丁治 撰」
「南無阿弥陀仏」
「湯殿山」
「馬頭観世音」
「不動尊」
「日露戦役記念碑」
社殿の裏から北西方向を見る。中央は「高砂コンテナターミナル」のクレーン群。
同じ場所から東方向。
津波に耐えた狛犬を改めて見る。
苦難を乗り越えた風格がある。
西側から高砂神社を見る。