2012年05月07日

下川内・諏訪神社とその周辺(その2)、午後4時30分

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石段の上から鳥居を見る。「貫」が落ちている。

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「郷社 諏訪神社
 陸軍中将正三位勲一等功四級小泉六一謹書」

小泉六一(1875〜1945)は1923年9月の関東大震災発生時、憲兵司令官だった。甘粕事件により停職処分を受けたが、翌年には復帰。川内村とは特別な地縁はないようだが、退役後に帝国在郷軍人会副会長を長く勤めたので、その関係で揮毫を依頼されたのであろうか。
ちなみに甘粕事件で殺害された伊藤野枝の息子、辻まことの墓は川内村の長福寺にある。http://www.kawauchimura.com/course/1102tsuji/
http://www.asahi-net.or.jp/~PB5H-OOTK/pages/T/tujimakoto.html

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参道を神社と反対方向に進むと国道399号線に出る。道路を横断し、神社を振り返る。

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下川内の交差点に向かう。交差点を直進すると県道36号線(富岡小野線)に入り、割山トンネルの手前に警察の検問所がある。右折すると国道399号線のいわき市方面。

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交差点の傍らにある地蔵。

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庭木が綺麗に剪定された立派な庭だが、下部がさっぱりしすぎているような感じもする。除染のために伐採するのを躊躇って、なるべく元の状態を保とうと努力した結果だろうか。
交差点の隅には

「自転車も 乗ればあなたはドライバー
  守って安全 ルールとマナー
   東京電力兜l通り電力所 笠間正春」

という立看板があるが、笠間正春氏は富岡町に存在する東京電力浜通り電力所の所長さんか何かで、立看板は東京電力の費用負担で作成されたものだろうか。それとも笠間正春氏個人が個人の費用負担で作成し、東京電力云々は個人の肩書に過ぎないのだろうか。
ま、多分前者であろうが、こういうものに個人の名前を書く感覚が今一つ理解できない。

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「みまもり地蔵様」

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根元から伐採された木が多い。残された木も丸裸になっている。

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伐られてしまったモクレンの花が萎びつつある。

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「すわの杜公園」に戻ることにする。

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川内村は地盤が強固らしく、壊れた家は殆どみかけない。この家は数少ない例外であるが、被害程度は僅か。

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「ご迷惑をおかけします
 除染作業をしております
 平成24年6月29日まで
 時間帯 8:00〜17:00
 第39号 公共施設等除染作業委託
 発注者 川内村長遠藤雄幸
 施工者 川内村復興事業組合」

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「95 卒業
  夢   」

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「第五区集会所」駐車場に戻る。
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下川内・諏訪神社とその周辺(その1)、午後4時20分

下川内の諏訪神社近くにある「第五区集会所」の駐車場に車を置いて、「すわの杜公園」をぐるっと一周してから諏訪神社に向かうことにする。

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「すわの杜公園」。
背後の建物が「第五区集会所」。

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「すわの杜公園」の南西隅、「トイレ・管理棟」の前に置かれたリアルタイム線量計は毎時0.272マイクロシーベルトを示していた。(要拡大)

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「トイレ・管理棟」の裏にもう一つのリアルタイム線量計があったが、こちらはデジタル数字の部分が光っていなかった。故障中か。

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同じ線量計を西側から眺める。

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表土はすっかり削り取られている。
もともとは芝生だったのであろうか。

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上方に細い板を直線状につないだ境界線があり、その下の部分は表土がかなり削られている。コンクリート壁との境目の部分にあった木は殆ど伐られており、伐採を免れた木も枝葉がすっかり落とされている。(要拡大)

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コンクリート壁の真下から見上げる。表皮が剥かれている木も多い。(要拡大)

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蓋を取り外された側溝。

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「第五区集会所」の左奥に鳥居と石段があるが、こちらの坂を上って諏訪神社に向かう。

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かなり上の方までピンクのテープが張られており、広範囲の杉の木の下枝が念入りに伐られている。(要拡大)

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「第五区集会所」を見下ろす。

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山神の奥の木の切り株はいずれも古いので、今回の伐採とは関係なさそう。

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川内村観光協会のサイトに諏訪神社の詳しい説明がある。
川内村には上川内の諏訪神社と下川内の諏訪神社の二つがあり、今回訪問したのは下川内の諏訪神社。
以下、川内村観光協会サイトより引用。

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当村の諏訪の社は、後醍醐天皇の元亨元(1321)年に久保田日向守が信州諏訪の本社より、御分霊を奉齋したのが始まりとされている。これが下川内の諏訪神社で、前谷地の諏訪神社は下川内から分霊したものである。
上川内の諏訪神社は、後花園天皇の永享2(1430)年に、信州の諏訪より分霊したと伝えるが、明治以前は曹洞宗の洞秀山泰享院長福寺の支配であった。
下川内の神職として、諏訪神社を勧請したのは久保田日向守であった。その後、本山派の修験である光山院が十数代奉仕し、明治3年に光山院は復飾して西山家となった。明治6年より23年までは、上川内諏訪神社の秋元房輔が兼任している。そして、明治31年より、現社家である久保田家が管理奉仕している。高田島は、上川内であっても下の諏訪神社の分社がある縁で、久保田家が奉仕している。
一方、上川内には秋元家が麓山神社の神職として奉仕していた。神仏分離により長福寺が上川内諏訪神社の別当職を解かれてからは、諏訪神社を本務として現在に至っている。
http://www.kawauchimura.com/course/1104kamisuwa/

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境内の表土も削り取られているようだが、どの程度削ったのかはよく分からず。測量用(?)の細い木柱が所々に立てられているが、あるいはその横棒が元の地面の高さを示しているのだろうか。(要拡大)

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本殿に向かって右側(東側)の石碑群の上部も除染作業の対象となった模様。

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境内の東側の隅。

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東側から西側を見る。

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川内中学校・宮ノ下集会所、午後4時10分

『河北新報』の2012年5月5日付記事より。

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戻る人影 戻れぬ苦悩 本格帰村から1ヵ月 福島・川内

 福島第1原発事故で全村避難した福島県川内村で本格的な帰村が始まり、1カ月が過ぎた。役場や小中学校が再開し、閑散としていた村内に人影が戻りつつある。しかし、避難を続ける村民からは、役場や帰村者との分断を懸念する声が上がる。帰還見通しの立たない沿岸部から内陸部に、生活圏をどう切り替えるか、も重い課題だ。
 「役場や学校が戻って人と車の往来が増えた。活気が全く違う」と語るのは、村の中心部で旅館を営む村商工会長の井出茂さん(56)。
 昨年4月は自衛隊の装甲車が走り、夜、明かりがともる家は周囲になかったという。「ようやく村も息を吹き返した」と喜ぶ。
 村は昨年3月16日に全村避難し、役場機能を郡山市に移した。今年1月末に帰村宣言を発表。4月2日、役場や学校、診療所などを戻した。
 村によると、村民約2800人のうち避難先を引き払って帰村したのは1日現在で223人。この1カ月で36人増えた。村で週に半分以上過ごす人を含めた実質帰村者は約600人に達する。
 川内小には16人が通う。スクールバス3台で全児童を送迎できる態勢を整えた。除染で放射線量は毎時0.1マイクロシーベルト台と低いが、屋外活動は3時間以内にとどめ、給食の放射能検査も実施する。
 高島仁校長は「できる限りの放射線対策に取り組む。施設環境に恵まれた村の学校に戻り、子どもたちは伸び伸びしている」と話す。
 一方で帰村に踏み切れない人も多い。村の中心部、第3行政区長の猪狩紀元さん(68)は郡山市の仮設住宅の自治会長を務め、「開いてない商店が多く、住宅の除染も進んでいない。まだ帰れない」と述べる。
 猪狩さんは役場が村に戻り、避難者の中には疎外感が生じているという。「郡山に1500人が避難している。避難者も村民。村は気を配ってほしい」と訴える。
 村は沿岸部の富岡町や大熊町などとつながりが深いが、両町の警戒区域指定は解けていない。井出寿一村復興対策課長は「勤め先の4割強は沿岸部の町。病院や高校、買い物も大半が沿岸部だった。そこに行けないのが課題」と明かす。
 商店主の鈴木孝幸さん(58)は昨夏に営業を再開したが、魚や肉などの生鮮食品は並べられない。主な仕入れ先が富岡町の市場だったからだ。「役場が帰ってきても状況は変わらない。川内は行き止まりの村になってしまった」と嘆く。
 遠藤雄幸村長は「1カ月で大きく変わった実感はなく、復興の道のりはこれからだ。帰村者と避難者の間で分断が生じるのが怖い。懇談会を定期的に開き、避難者にも寄り添う。今後は内陸部の田村市や小野町との連携が重要になる」と話す。
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/05/20120505t65010.htm

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「川内村保健・福祉・医療複合施設 ゆふね」から国道399号線を川内村役場方面に戻り、川内中学校に寄ってみた。

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同じ位置から少し右。

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テニスコート。

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校庭の表土はきれいに剥ぎ取られており、除染作業は完了した模様。

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校庭には入らず、道路から撮影。

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道路一本隔てたところに集められている土嚢。

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更に奥の方にも土嚢が積まれている。

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川内中学校から300メートルほど離れた宮ノ下集会所に移動。

「ご迷惑をおかけします
 除染作業をしております
 平成23年11月1日から
 平成24年7月31日まで
 第28号 民間住宅等除染作業委託
 発注者 川内村長 遠藤雄幸
 施行者 川内村復興事業組合」

川内村のウェブサイトには「民間住宅等除染作業委託」に関連して次のような記載がある。

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民間住宅の除染作業に係る協力依頼について

 現在、川内村では第1行政区から第7行政区の旧緊急時避難準備区域における民間住宅の除染作業を「川内村復興事業組合」に委託しております。
 既に川内村復興事業組合による事前打合せの済んでいるお宅や今後除染作業の事前打合せをお願いするお宅もあります。
 川内村では、除染作業を実施するため昨年の11月から事業に着手しており、各地区の除染実施に合わせ行政区説明会を実施して参りましたが、各地区の説明会に参加できなかった方や除染作業に疑問のある方は、委託先である「川内村復興事業組合(0240-25-8212)」までご連絡ください。
 なお、今後の除染作業の実施にあたり、川内村復興事業組合より、村民の皆さんにご連絡をさせていただきますので、よろしくお願いいたします。連絡先につきましては、避難にあたり川内村に届け出ていただいている連絡先となりますのでご了解願います。
 また、連絡先の変更を行う場合は、川内村役場まで連絡願います。
http://shinsai.kawauchimura.jp/?p=1423

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国道399号線、村役場のある方向(北西方向)。

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同じ位置から少し右。

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更に右。

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「M6184
 5/2 土
 5区宮ノ下
 三瓶組」
などと手書きで書かれている。(要拡大)

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宮ノ下集会所の裏にある石碑群。

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宮ノ下集会所前に戻ると、道路を挟んで反対側に一台の車が止まっており、防塵マスクをしたグループが集会所前のリアルタイム放射線量測定器を真剣な表情で見つめていた。ものものしさに少し驚く。

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数値が気になったので、作業の邪魔をしないように注意しつつ、車の後ろに廻ってみる。

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線量計は毎時0.297マイクロシーベルトを表示しているが、日々公表されている川内村近辺の数字と比べて特に注目する必要がある数値とも思えない。このグループが何に驚いているのか、今一つよく分からず。(要拡大)
posted by 神宮威一郎 at 16:10| Comment(0) | 川内村

坂シ内(さかしうち)・海老沢稲荷神社、午後3時55分

川内村役場から国道399号線をいわき市方面に進み、下川内の交差点で県道36号線(小野富岡線)に入ると直ぐ、「川内村保健・福祉・医療複合施設ゆふね」がある。その敷地の奥に小さな神社が見えたので寄ってみた。

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「海老澤稲荷神社」

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狐の木像が面白い。

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稲荷神社に置かれていなかったら犬と間違えてしまいそうな形をしている。

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こちらは上を向いて笑っているように見える。
小さな社の中の木札には
「家内安全
 子孫繁栄
 奉遷宮 海
 平成十年」
とある。
下部が欠けているが、平成十年に「遷宮」があったことを示しているので、旧境内地は現在の「川内村保健・福祉・医療複合施設ゆふね」の敷地内にあり、同施設の建設のために「遷宮」を行ったのであろうか。

南相馬市小高区の蛯沢稲荷神社入口に掲示されていた南相馬市教育委員会の説明によれば、
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蛯澤稲荷神社は、古くは相馬昌胤をはじめ代々の相馬中村藩主から厚く信仰されていた神社である。来歴は明らかではないが、もとは原町区石神字大原にあり、冠嶺明神と呼ばれていたという。建武年間(1334〜37)、戦火を逃れて原町区より小高区蛯沢へ移り、その後、双葉郡川内村、楢葉町などを経て、再び蛯沢に戻ったと伝えられている。
http://chingokokka.sblo.jp/article/55385870.html

とのことで、川内村と小高区の蛯沢稲荷神社には古くからのつながりがある。
とすると、他に川内村にエビサワ稲荷神社がないのであれば、「遷宮」前の海老沢稲荷神社の境内地が、かつて蛯沢稲荷神社が存在した場所なのではなかろうか。

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「川内村国民健康保険診療所
 (指定居宅介護支援事業所)
 ○診療科 内科・歯科
 ○診療時間 午前9時から午後4時
  ただし歯科は 午前9時から午後6時30分まで
 ○休診日 土・日・祝祭日及び年末年始
 双葉郡川内村大字下川内字坂シ内133番地の5
 電話           」

リアルタイム線量計は毎時0.190マイクロシーベルトを示していた。

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電光掲示板に「この先→特別警戒中」の文字が流れている。
「ゆふね」から県道36号線を富岡町方向に進むと直ぐに警察の検問所があるが、今回はそこまで訪問しなかった。

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「福島交通
 坂シ内
 SAKASHIUCHI」
県道36号線を挟んで「ゆふね」入口の反対側にあるバス停。このバス停の表示を見て、初めて「坂シ内」は「さかしうち」と読むことを知った。

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土嚢には
「M5897
  土
 H23 4/26
 5区大町2区
 丸川建設梶v
などと手書きされている。

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二つ上の写真の左のコンテナハウスから東方向を見る。

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posted by 神宮威一郎 at 15:55| Comment(0) | 川内村

川内村役場、午後3時40分

川内村の概要。(川内村ホームページより)
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本村は、福島県双葉郡の中西部に位置し、東は富岡町・楢葉町、西は田村市滝根町、南はいわき市、そして北は田村市都路町・双葉郡大熊町に接しており、北から南には雄大な阿武隈高地の山々が連なっています。
村の平均標高は約456mと高く、そのため霜などの影響を受けやすい地勢です。葉タバコ、畜産・高原野菜などの複合経営型農業に適しております。
耕地はわずか5%と少ないが村の大部分を占める山林は、村の重要な森業資源であるとともに豊かな自然環境を形成しています。
気候は北関東地方とほとんど変わりなく、年間を通じて比較的温暖な太平洋側型です。
http://www.kawauchimura.jp/outline/profile.html

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国道399号線から木戸川に架かる中央橋を渡って川内村役場に行く。

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中央橋から国道399号線(いわき市方向)を見る。左に常磐交通の役場前バス停。

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同じ位置から少し右。木戸川の下流方向。

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更に右。

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反対側、木戸川の上流方向。

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「かえる
 かわうち
 全村帰村宣言
 新しい村へ。
 私たちは
 歩き続けます。

 寄贈:福島ミドリ安全株式会社」

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村役場内は「0.07μSv/h」。

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振りかえると、「自衛官募集」のイラストもカエル。
posted by 神宮威一郎 at 15:40| Comment(0) | 川内村