「2011年10月の烏崎海浜公園」(その1)
http://chingokokka.sblo.jp/article/77388021.html
「2011年10月の烏崎海浜公園」(その2)
http://chingokokka.sblo.jp/article/77400796.html
烏崎海岸は相馬野馬追に出場する馬の調教場所だったという。
2013年5月26日の福島民報に次のような記事が出ている。
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野馬追調教再開へ流木撤去 南相馬鹿島の烏崎海岸
東日本大震災前まで相馬野馬追に出場する馬の調教場所だった南相馬市鹿島区の烏崎海岸で25日、地元関係者と県外からのボランティアが流木の撤去作業に取り組んだ。至る所にある流木、がれき、ごみなどを拾い集め、調教再開に向け舞台を整えた。
約2キロの砂浜が広がる烏崎海岸は、朝日を浴びて砂浜を駆ける人馬の姿が夏の風物詩となっていた。しかし、震災で海岸が地盤沈下し、砂も流されたため走路となる浜辺が狭まった。海岸への進入路も途絶えていたため、馬を乗り入れることはできなかった。
震災から2年余り経過し、砂浜は幾分回復。進入路も整備されたため、地元の烏中清さんが理事長を務める一般社団法人「相馬夢追い企画」が、流木の撤去など砂浜整備を呼び掛けた。
作業には北郷騎馬会も含め約30人が参加。流木やがれきを集め、不燃物は分別して収集した。震災前の規模は無理でも、調整可能な走路が確保できた。
参加した北郷騎馬会の牛渡康光会長は「再びこの場所で調教できれば祭りに向け、勢いもつく」と話した。
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2013/05/post_7250.html
烏崎行政区長の烏中清氏は南相馬市サイト内の下記動画にも登場されている。
「南相馬 被災地の神社 心の依代(よりしろ)の復活」(南相馬市公式サイト)
http://www.city.minamisoma.lg.jp/index.cfm/6,14518,36,164,html
南方向。
東北電力原町火力発電所の煙突。
西方向。
風で海岸の砂が飛ばされ、広い範囲でうっすらと靄がかかったようになっている。
テーブルやベンチなどは撤去されていた。
海岸への入り口となっている防波堤の崩壊部分を振り返る。
奥に被災漁船が集められている一画があるが、処理が進んで数はかなり少なくなっている模様。(要拡大)
真野川漁港。
砂の靄の中でも「善宝寺」の赤い旗が鮮やか。
海浜公園の駐車場で芋煮会(?)をしているグループ。
原町火力発電所から伸びる防波堤。
少し右。
アンローダー(揚炭機)。
更に右。
北方向。
蛇口が撤去されている。
波打ち際に近づく。
砂浜から瓦礫・流木は殆ど撤去されているが、これは撤去が難しいものなのだろう。
巨大なアンローダー(揚炭機)。
アンローダーの左側、船が二隻。