http://chingokokka.sblo.jp/article/56180454.html
2012年3月20日訪問時の様子はこちら。
http://chingokokka.sblo.jp/article/56166948.html
「 お願い
電話ケーブル線付近での発砲に御注意
野や山の中にも重要な電話線路がかけめぐって
います。最近猟銃の散弾による故障が続発し、
ケーブルが損傷される例が多くなりました。
このため電話の利用者に、大変な迷惑をおかけ
しています。狩を楽しむ皆さん、是非とも電話
ケーブル線付近での発砲は御遠慮下さい。
なお、万一ケーブルに損傷を与えたときは、直ちに御連絡下さい。
日本電信電話公社
石巻電報電話局」
撮影時にはこの掲示の内容には特に注意しなかったが、いかにも土地柄を表しているので転記してみた。
この日も1qほど北上した地点の道路脇で十数頭の鹿の群れを見かけた。
「石巻市立谷川小学校閉校記念碑
校歌
作詞 三浦作兵衛
作曲 熊田為宏
一 鮫の浦風 さわやかに
わたる緑の丘のうえ
つばき花咲く 学舎は
かもめの声も こだまして
明るい 谷川小学校
二 磯にとどろく 荒波の
不屈の心 たくましく
力合わせて ともどもに
真の光を 求めゆく
楽しい 谷川小学校
三 豊かな恵み 山川の
光あふれる 故郷に
あすの栄を 望みつつ
学びの道を 仰ぎゆく
輝く 谷川小学校
(昭和三十七年五月八日制定)
建立 平成二十四年三月二十四日
石巻市立谷川小学校父母教師会
石巻市」
同校の公式ブログに閉講式の写真が掲載されている。
http://sakanaguchi.blog.fc2.com/
また、同校のホームページに「学区の概要」として以下の記述がある。
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本校は、宮城県の東端、牡鹿半島のほぼ中央に位置し、太平洋の一部である鮫浦湾と称される湾に面している。また。近くに金華山を望み、リアス式海岸に砕ける荒波のなす景観は観光地として脚光を浴びている。
学区は、鮫浦、大谷川、谷川、祝浜、泊浜の5つの浜からなる。都市部から離れ、旧牡鹿町の中心部(鮎川)からも13km離れたへき地2級地の小規模校である。牡鹿半島に鮫浦湾が深く入り込み、海岸まで山裾が迫っているため耕地は少ない。
保護者の職業については、学区内での養殖を中心とする漁業と石巻中心部での漁業以外の仕事への従事であったが、東日本大震災後、主な職業であった漁業への取り組みが困難な状況が続いている。
地域住民は、人情に厚く勤勉で、学校に対する協力・援助は絶大なものであったが、平成23年3月11日(金)の東日本大震災により、泊浜以外の4つの浜がほぼ全壊という被害にあい、他地区に転出する人も出てきた。
現在、学区に残った保護者と地域の人々は、地域と漁業の復興に向けて日々努力しているところである。
http://www.mediaship.ne.jp/~elsyaga/hp22/yagawa5.html
http://www.mediaship.ne.jp/~elsyaga/
谷川小学校の「校木」は「もちの木」だという。
ホームページに以下の説明がある。
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学校の裏山にひときわ大きく見える木である。
モチノキ科の常緑高木。葉は互生し、長円形でつ
やがある。春、葉のわきに黄緑色の小さな花が集
まって咲く、雌雄異株。球形で、赤い実がなる。厳
しい海風に耐えて大きく育ってほしいという願いを
込めて制定した。
http://www.mediaship.ne.jp/~elsyaga/hp22/yagawa4.html
鮫浦湾に多数の漁船が見える。
体育館跡は綺麗に整地され、何も残っていない。
校庭に風紋が描かれている。
玄関の奥に風に吹き寄せられたらしい花束がいくつかある。(要拡大)
奥は瓦礫が撤去され、何もなくなってしまった大谷川浜の集落。最上部に一軒だけ残っている。(要拡大)
正面奥に島が浮かんでいる。
拡大。左が江島、右が足島。
更に拡大。この角度からだと二つの島がつながっているように見える。
奥は寄磯浜の集落。
正面奥は鮫浦。中央のへこんだ部分の左に五十鈴神社、右に熊野神社がある。