2012年05月19日

初夏の谷川小学校跡、午後4時

2011年8月3日訪問時の谷川小学校の様子はこちら。
http://chingokokka.sblo.jp/article/56180454.html

2012年3月20日訪問時の様子はこちら。
http://chingokokka.sblo.jp/article/56166948.html

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「 お願い
 電話ケーブル線付近での発砲に御注意
野や山の中にも重要な電話線路がかけめぐって
います。最近猟銃の散弾による故障が続発し、
ケーブルが損傷される例が多くなりました。
このため電話の利用者に、大変な迷惑をおかけ
しています。狩を楽しむ皆さん、是非とも電話
ケーブル線付近での発砲は御遠慮下さい。
 なお、万一ケーブルに損傷を与えたときは、直ちに御連絡下さい。
  日本電信電話公社
  石巻電報電話局」

撮影時にはこの掲示の内容には特に注意しなかったが、いかにも土地柄を表しているので転記してみた。
この日も1qほど北上した地点の道路脇で十数頭の鹿の群れを見かけた。

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「石巻市立谷川小学校閉校記念碑

 校歌

   作詞 三浦作兵衛
   作曲 熊田為宏

一 鮫の浦風 さわやかに
  わたる緑の丘のうえ
  つばき花咲く 学舎は
  かもめの声も こだまして
  明るい 谷川小学校

二 磯にとどろく 荒波の
  不屈の心 たくましく
  力合わせて ともどもに
  真の光を 求めゆく
  楽しい 谷川小学校

三 豊かな恵み 山川の
  光あふれる 故郷に
  あすの栄を 望みつつ
  学びの道を 仰ぎゆく
  輝く 谷川小学校

 (昭和三十七年五月八日制定)

   建立 平成二十四年三月二十四日
      石巻市立谷川小学校父母教師会
      石巻市」

同校の公式ブログに閉講式の写真が掲載されている。
http://sakanaguchi.blog.fc2.com/

また、同校のホームページに「学区の概要」として以下の記述がある。
------
 本校は、宮城県の東端、牡鹿半島のほぼ中央に位置し、太平洋の一部である鮫浦湾と称される湾に面している。また。近くに金華山を望み、リアス式海岸に砕ける荒波のなす景観は観光地として脚光を浴びている。
 学区は、鮫浦、大谷川、谷川、祝浜、泊浜の5つの浜からなる。都市部から離れ、旧牡鹿町の中心部(鮎川)からも13km離れたへき地2級地の小規模校である。牡鹿半島に鮫浦湾が深く入り込み、海岸まで山裾が迫っているため耕地は少ない。
 保護者の職業については、学区内での養殖を中心とする漁業と石巻中心部での漁業以外の仕事への従事であったが、東日本大震災後、主な職業であった漁業への取り組みが困難な状況が続いている。
 地域住民は、人情に厚く勤勉で、学校に対する協力・援助は絶大なものであったが、平成23年3月11日(金)の東日本大震災により、泊浜以外の4つの浜がほぼ全壊という被害にあい、他地区に転出する人も出てきた。
 現在、学区に残った保護者と地域の人々は、地域と漁業の復興に向けて日々努力しているところである。
http://www.mediaship.ne.jp/~elsyaga/hp22/yagawa5.html
http://www.mediaship.ne.jp/~elsyaga/

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谷川小学校の「校木」は「もちの木」だという。
ホームページに以下の説明がある。

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学校の裏山にひときわ大きく見える木である。
モチノキ科の常緑高木。葉は互生し、長円形でつ
やがある。春、葉のわきに黄緑色の小さな花が集
まって咲く、雌雄異株。球形で、赤い実がなる。厳
しい海風に耐えて大きく育ってほしいという願いを
込めて制定した。
http://www.mediaship.ne.jp/~elsyaga/hp22/yagawa4.html

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鮫浦湾に多数の漁船が見える。

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体育館跡は綺麗に整地され、何も残っていない。

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校庭に風紋が描かれている。

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玄関の奥に風に吹き寄せられたらしい花束がいくつかある。(要拡大)

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奥は瓦礫が撤去され、何もなくなってしまった大谷川浜の集落。最上部に一軒だけ残っている。(要拡大)

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正面奥に島が浮かんでいる。

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拡大。左が江島、右が足島。

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更に拡大。この角度からだと二つの島がつながっているように見える。

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奥は寄磯浜の集落。

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正面奥は鮫浦。中央のへこんだ部分の左に五十鈴神社、右に熊野神社がある。
posted by 神宮威一郎 at 16:40| Comment(0) | 石巻市牡鹿町

2012年03月20日

大谷川浜・大谷川漁港、午後3時50分

【投稿日:2012年5月31日】

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谷川小学校から大谷川漁港に下りると、石仏・石碑が集められた一画がある。

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正面に回る。
奥に見えるのは谷川小学校の校舎。

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同じ位置から少し右。

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更に右。
県道41号線(女川牡鹿線)の手前まで大きく抉られている。

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「昭和八年三月三日
 大震嘯記念」

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「本記念碑は朝日新聞社へ
 寄託の義金二十万余を罹災
 町村へ分配した残額を
 もって建てたものです
    大原村」

同種の記念碑は昭和八年の津波被災地でよく見かける。

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中央、「庚申供養」。

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二渡神社の表参道の石段を見上げる。
下部が完全に崩壊している。

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防波堤の先端を目指して進む。

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防波堤の上から右側(東側)を見る。

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先端は一部崩壊・水没。

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これ以上進むのは無理。

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黒い鳥がいる。(要拡大)

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堤防先端から振り返る。

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同じルートを引き返すことにする。

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「昭和44年度施工
 海岸名 大谷川
 事業名 海岸弓部改良
 延長  91m50
 施行者 梶原組
  宮城県」

「昭和45年度施工
 海岸名 大谷川
 事業名 海岸弓部改良工事
 延長  20.00米
 施行者 梶原組
  宮城県」

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「大谷川防潮水門門扉
 純径間×扉高 6.60M×4.4M
 扉体重量   8500 T
 製作年月   昭和43年10月
 製作     日本車輌
  宮城県」

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大谷川に架かる橋の上から西側を見る。

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大谷川浜は集落が「解散」することとなった。
以下、2011年6月4日付朝日新聞記事より引用(元記事はリンクが切れているようなので、複数のブログに引用されていた記事を転載)。

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集落解散―牡鹿半島
「もうもたぬ」積立金分配

 宮城県の牡鹿半島で、集落が相次いで「解散」を決めている。津波の被害で多くの住民が地区を出て行ってしまったからだ。積立金を配分し、避難生活にあてる自治会もある。過疎の集落が、震災の直撃で存続の危機に直面している。
「離ればなれで収入もない。少しでも生活に回した方がいいんじゃないか」。5月29日、石巻市の旧牡鹿町で昨年3月に閉校となった旧大原中学校職員室。地区の全30世帯が参加した集会で、区長の木村幸七さん(68)が積立金362万7千円の分配を切り出した。
 半島の付け根に近い東岸にあり、震災前は約100人が暮らしていた大谷川浜地区。ホタテやホヤの養殖がさかんで、春先の豊漁を祈願する祭りには全世帯が参加し、祭りの運営などのためにお金を積み立てていた。
 しかし、平野部分に広がる住宅地の全戸が津波で流された。近くに診療所はなく、薬の入手は困難。買い物も隣の女川町や市の中心部まで出なければならない。旧大原中学校で避難生活を送っていた住民は、次々と地区を離れていった。
 「支援物資も不足しがちな避難所にとどめるわけにはいかない」。4人家族だった漁業の阿部政悦さん(51)は、母親を山形県の姉宅に預けた。長男(24)は就職先がある県内の別の町に移り、後継ぎとしてホヤ養殖の見習いをしていた次男(22)も、アルバイトをしている市中心部に引っ越した。「行政から復興計画も何も示されていないので、どうしようもない」
 阿部留男さん(82)も地区を離れることを決めた。「年も年だし、高台の住宅地が出来るまで待っていたのでは、いつになるかわからない。悔しいし、さみしいが仕方ない」
 残るのは3世帯5人。集会には、地区を離れた住民も参加した。「住民がいなくなり、自治組織としてもたない」。積立金の分配に加え、地区で管理していた山林の樹木も売却し、売り上げを分けることで合意した。行政に高台の宅地造成を陳情することを決めたが、来年3月31日に再会することでお開きとなった。
 「出たくて出た人はいない」。自身も市中心部の長女宅に身を寄せる木村区長は言う。「生まれた時から波の音を聞き、朝日をみて育った。他の場所はやはり落ち着かない」。仮設住宅が地区内にできれば妻と戻る考えだ。「仮設が出来て先行きが見えれば戻ってくる人も出てくるのでは」。希望は捨てないという。

再建へ区長は残す

 津波で23人が行方不明、8人が遺体で見つかった谷川浜地区。震災前は約160人がいたが、残ることを決めたのは6世帯15人。
 「解散することにしますか」。5月5日、旧大原中学校体育館で区長が住民約60世帯に提案すると、反対は一人もいなかった。積み立てていた「区費」のうち、15万円を残る15人に渡し、残りは分配した。
 そんな中で、漁業の渥美政雄さん(34)は集落に残ることを決めた。市中心部に住む兄から「一緒に住まないかと勧められたが、小中学生の子ども3人が転居を嫌がった。「おかに上がっても仕事はない」
 会社員の渥美勝彦さん(59)も、とどまることを選んだ。「仮設住宅の着工が遅すぎる。先行きを悲観し、みんな出ていったのではないか」。集落組織は解散したが、市の条例で定められた行政区として「谷川」の名は残る。いつでも住民が戻れるように思いを込め、「区長」になった。(上田学)
posted by 神宮威一郎 at 15:50| Comment(0) | 石巻市牡鹿町

大谷川浜・二渡神社、午後3時45分

【投稿日:2012年5月31日】

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校舎の裏から二渡神社へ登る参道入口に向かう。

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津波でえぐられたところに新しい鉄製の階段が設置されていた。

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「二渡神宮」と書かれている。

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谷川小学校の児童14名と先生は住民の機敏な対応のおかげで全員無事だった。
津波襲来時にはいったん県道41号線(女川牡鹿線)を越えて裏山の杉林に避難し、波が退いた後、二渡神社の社殿で夜明けを待ったという。

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小学校から登ってきた参道は裏参道らしく、神社正面には漁港に下りる表参道があった。

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表参道の石段は下部が崩壊している。

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再び裏参道から小学校へ戻る。
posted by 神宮威一郎 at 15:45| Comment(0) | 石巻市牡鹿町

大谷川浜・谷川小学校、午後3時35分

【投稿日:2012年5月31日】
谷川(やがわ)小学校には2011年8月以降、何度か訪問しているが、同校のホームページに下記の掲示があったので、校舎が間もなく取り壊されるものと考え、閉講式の4日前に訪問してみた。

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 本校は平成24年3月をもって閉校することとなりました。つきましては、以下の通りに閉校式を執り行いますのでお知らせいたします。
 期日 : 平成24年3月24日 土曜日
 場所 : 旧大原中学校体育館
 時間 : 午前10時より
 谷川小学校の卒業生や勤めた経験のある方で、式にご参加いただける方は、当日に会場までお越しください。
 なお、当日8時30分から谷川小学校校庭で「校舎への感謝の会」、8時50分からは「閉校記念碑除幕式」を執り行います。
http://www.mediaship.ne.jp/~elsyaga/

2011年8月3日時点での様子はこちら(津波襲来時の状況を詳細に記述した『河北新報』記事も転載)。
http://chingokokka.sblo.jp/article/56180454.html

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「石巻市立谷川小学校」

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正門を裏側から見る。
奥に見えるのはNTT東日本の施設。

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プール跡。

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坂道の法面が崩壊している。

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南方向。

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北方向。

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校舎内に入ってみる。
床はブルーシートで覆われている。

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「職員室への入り方」

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「おもいやり」

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二階への階段。

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二階に上る。

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「ありがとう♡
 谷川小」

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「今までありがとう
 ずっと好きでした」

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posted by 神宮威一郎 at 15:35| Comment(0) | 石巻市牡鹿町

2011年09月18日

小網倉浜・神明社(その2)、午前10時25分

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崩壊した斜面を横切って、狛犬にご挨拶。
ここから急な石段を上ると、直ぐに社殿となっている。

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「神明社」

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鶴の下の図柄は何だろうか。

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小さな船を描いた絵には「奉納 大原村小網倉 阿部留之助」とある。

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左の図柄は何か。
上部に三つの小さな火炎宝珠がある。
その下は亀甲模様。
周りの青い部分は波を表しているのだろうか。

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小網倉の集落跡と漁港。

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少し右。

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コンクリート製の階段の傾斜は元々かなり急。

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社殿に向かって左側の空間。

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側面から見る。
社殿の直ぐ下が石段になっている。

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パイプの柵に近い方は地盤が緩んでいる。

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帰路に就く。

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「鳥居寄付※※※※」
鳥居は存在しない。
posted by 神宮威一郎 at 10:25| Comment(0) | 石巻市牡鹿町