2012年03月16日

南三陸町・戸倉小学校(その1)、午後2時30分

【追記:2012年7月11日】
大川小学校の問題を検討する上で、戸倉小学校は比較対象として最も重要な事例と考える。
雄勝小学校や相川小学校の場合、裏山の傾斜は大川小学校の「裏山」より急であったが、逃げる場所はそこしかなかった。
逃げる必要があると判断した時点で、逃げる場所は自動的に決定された。
しかし、戸倉小学校の場合、三階建ての校舎に屋上があり、所定のマニュアルでも屋上に避難することになっていたので、屋上に行きさえすれば、結果的に児童全員が死亡したとしても教員の責任の問題は生じなかったと思われる。
それにもかかわらず、移動距離の長い別の避難場所を選択した判断がなされたことは非常に重要であり、複数の選択肢が存在した大川小学校の問題を考える上で最も参考になる。

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原口・岩松『東日本大震災津波詳細地図上巻』を見ると、南三陸町の防災庁舎の津波浸水高が14.16メートルで、志津川町中心部の津波浸水高は概ね14~16メートル程度であるが、戸倉小学校周辺は20メートルを超えている。
『河北新報』2011年05月11日付の下記記事によれば、戸倉小学校の在校児童は「宇津野高台」の神社(記事には神社名がないが、五十鈴神社)へ逃げて無事だったとのことであるが、「宇津野高台」の津波浸水高は20.71メートルで、神社周辺の本当にごく僅かな部分だけが津波を免れた。

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とっさの判断高台へ 在校児童ら犠牲逃れる 南三陸

 10日に始業式を迎えた宮城県南三陸町の戸倉小は震災発生時、校舎屋上まで津波に襲われながらも、学校にいた児童全員が無事だった。同校は最も早い場合には3分で津波が到達するとされた宮城県沖地震を想定し、校舎屋上への避難を検討していたが、教職員のとっさの判断で高台への避難を選択し、難を逃れた。隣接の戸倉保育所も戸倉小屋上への避難をマニュアル化していたが同様に高台に避難し、多くの園児が救われた。
 「非常に強い地震。確実に津波が来る」。戸倉小では地震直後、麻生川敦校長(53)ら職員が、学校にいた児童91人に約200メートル離れた「宇津野高台」への避難を指示し、全員で走って逃げた。
 3階建ての校舎は簡単に津波にのみ込まれ、屋上の給水塔まで水没。津波は高台まで迫り、児童らはさらに高い神社へと移動しなければならなくなった。
 麻生川校長によると、同校は津波到達までの時間が最悪3分とされた宮城県沖地震を想定し、マニュアルで定めていた避難先を高台から校舎屋上に変更できないか、検討中だった。高台までは国道398号を横断しなければならず、大人の脚でも5分以上はかかるからだ。
 これまでの職員の話し合いでは、1960年のチリ地震津波を経験した職員らが高台への避難を主張。結論は出ず、専門家に意見を求めようということになっていた。
 麻生川校長は「学校は津波が確実に来る場所にあった。津波経験がある職員の声を聞いた話し合いが、結果的に生死を分けた」と話した。
 一方、園児のお昼寝中に地震に見舞われた戸倉保育所。マニュアルでは戸倉小の屋上へ一時避難し、落ち着いたら高台へ逃げる手順だった。
 しかし、佐藤盛子所長(57)らは建物被害が大きく、戸倉小校舎も危険と判断し、高台への避難を決断。21人の園児は毛布などを持って逃げ、戸倉小の児童より早く高台への避難を完了した。
 園児らが持って逃げた毛布などは、高台にある神社で一夜を過ごした際にも役立ったという。
 震災と津波で戸倉小では帰宅していた児童1人が死亡。戸倉保育所では園児1人が行方不明となった。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110511_01.htm

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体育館は震災直前に完成し、2011年3月1日に、「引継ぎ式」が行われたばかりだったという。
南三陸町ホームページには次の記事がある。
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戸倉小学校の体育館が完成
3月1日(火)、昨年の6月から工事が進められていた戸倉小学校の体育館が完成し、「引継ぎ式」が新体育館で行われました。
引継ぎ式には、町や学校関係者のほか、戸倉小学校の全校児童が参加し、待ちに待った新しい体育館の落成を祝いました。
初めに、町長から教育委員長に体育館の引継ぎ書が交付されたあと、麻生川校長先生に鍵が手渡され、児童代表と一緒にテープカットが行われました。
引継ぎ式が終わり体育館が開放されと、子どもたちは、アリの子を散らすように体育館のなかを走り回り、新しい体育館の完成を喜んでいました。
http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/modules/photos/photo.php?lid=470

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「戸倉小学校校歌
    山本正  作詞
    海鉾義美 作曲

一 かもめ群れ跳ぶ 青い海
  たぶの木しげる  椿島
  出船 入船 たえまなく
  海山の幸 ゆたかなる
  戸倉の里を 学び舎に
二 流れも清く 折立の
  川原にかおる 若草の
  学びの道の 行き帰り
  手をたずさえて すこやかに
  伸びゆく命 光あり

三 太平洋の海の気を
  すうてそびえる 翁倉
  夢ゆたかなる 海や山
  学ぶ六年の 春秋に
  輝くゆく手 栄えあれ

平成九年度 卒業記念共同制作」

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卒業生らしい二人組。

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二階に上ってみる。

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「宇津野高台」を見る。
中央に五十鈴神社の赤い鳥居が見える。(要拡大)

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2012年01月09日

歌津・伊里前福幸商店街、午後3時40分

『河北新報』(2011年12月15日)に下記記事があったので、歌津に行ってみた。

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復興の足掛かり開店 南三陸、七ケ浜に仮設商店街

◎南三陸・福幸商店街/語らいの場を提供
 東日本大震災による津波で約30店あった店舗のほとんどが流された宮城県南三陸町歌津の伊里前地区に13日、仮設の伊里前福幸商店街がオープンした。
 オープニングセレモニーで、同商店街運営組合の高橋武一組合長は「商店街を語らいの場として利用してもらい、歌津復興の足掛かりにしたい」とあいさつ。関係者がテープカットした。
 同商店街には食料品店や衣料品店、美容店など7店が入居する。売り場面積25平方メートル、50平方メートルのコンテナを店舗に使う。中小企業基盤整備機構の事業を活用し、整備した。
 商店街の敷地は約1700平方メートルの町有地で、震災前にあった商店街に隣接している。商店街近くにある伊里前小の仮設住宅で暮らす主婦牧野真弓さん(42)は「震災後は町外に買い物に出ることが多かった。歩いて買い物に来られるようになり、助かる」と話した。【後略】
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20111215_07.htm

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水門から歌津大橋の奥に「伊里前福幸商店街」を見る。

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ウタちゃん橋まで戻る。

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ウタちゃん橋の下、カモが泳いでいる。

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正面奥にJR気仙沼線歌津駅。

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商店街に近づく。

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三嶋神社の鳥居を見る。

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郵便ポスト。右奥に歌津大橋の崩壊部分が見える。

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「うたちゃんショップ」。ウタちゃんの「ウタ」は正式にはカタカナのようであるが、ここではひらがなになっている。

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「うたちゃんショップ」に入り、店内商品を見る。急に温かい室内に入ったため、レンズが曇ってしまった。復興を祈念し、左隅のふくろうのプチぬいぐるみ800円を購入。

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歌津・ウタちゃん橋周辺、午後3時30分

ウタちゃんについては、以下に2012年1月11日現在のウィキペディアを引用。
「ウタちゃんは宮城県本吉郡歌津町(現・南三陸町)の伊里前川に2002年9月19日から3日間いたワモンアザラシの子供。
 2002年9月19日、伊里前川の河岸で体長60〜70cmで白い体毛をした子供のアザラシが昼寝しているのが発見された。ワモンアザラシが本州にやってくることは珍しく、同年8月に多摩川にあらわれ多数の見物人を集めたアゴヒゲアザラシのタマちゃんと同様に全国で話題となった。アザラシは町名から「ウタちゃん」と名づけられた。ウタちゃんは21日朝に海へ戻って行ったきり姿を消した。
 ウタちゃんが歌津に滞在したのはほんの3日間だけであったが経済効果を求める町は「ウタちゃんプロジェクトチーム」を発足した。商工会や観光協会も協力してアザラシに関するシンポジウム開催の計画、「歌津のウタちゃん」の商標登録、伊里前川にかかる汐見橋を「ウタちゃん橋」に改名するなどを行った。翌年、町観光協会の発表によるウタちゃんによる観光効果は年間観光客入れ込み数1万人増、町長によればテレビ中継や雑誌・新聞報道による宣伝効果は間接的だろうが、数千万円に及ぶという。
 人形メーカー 真多呂人形の作る2002年の世相を反映した「変わりびな」のうちの1対に「タマちゃんウタちゃんびな」が登場した。ウタちゃんの性別は不詳だが、名前の響きからウタちゃんが雌雛になっており、リボンが付いている。」

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ウタちゃん橋遠景。原口・岩松著『東日本大震災津波詳細地図』(上)によると、撮影地点近辺の津波浸水高は16.06メートル。

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国道45号線の旧道。奥に見えるのは三嶋神社の鳥居。

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自動販売機の後ろにJR気仙沼線歌津駅。

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ウタちゃん橋に近づく。

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正面奥に2011年12月13日にオープンした「伊里前福幸商店街」。

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ウタちゃん橋を歩く。奥は国道45号線の新道。左に歌津大橋。

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神社跡か。

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「湯殿山」。

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「太神宮」。

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「ウタちゃんの来た伊里前川 歌津町立歌津中学校」。真ん中のウタちゃんが掲げているのは歌津中学校の校旗。「伊里前福幸商店街」の奥の高台には伊里前小学校と、同校の校庭に設置された仮設住宅が見える。(要拡大)

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右、歌津大橋。

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神社跡を振り返る。

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国道45号線下のトンネルを潜り抜け、海側に出る。

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津波で東側が崩落した歌津大橋。復旧工事中。

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巨大な鉄の構造物。崩壊した水門のゲート部か。

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奥は手すりの柵が横倒しになっている。

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対岸には渡れるが、無理をせずに引き返す。

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津波が作った前衛芸術。

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下から覗き込んでみる。

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2011年12月14日

荒島・荒嶋神社、午後3時30分

【更新日:2013年8月6日】

「2011年8月の荒島」
http://chingokokka.sblo.jp/article/71926782.html

「南三陸観光データベース」に以下の記載がある。

「袖浜海岸と荒島(あれしま)
 安永風土記には荒島に弁財天堂があったことが記されており、漁業者の信仰を集めていたものと思われます。明治の神仏分離の際に、湾内の他の島がすべて国有林に編入されたのに反してこの島だけが民間に売却されたものを、後に町の篤志家が買い戻し、昭和12年に志津川港の外港防波堤として大森崎と荒島を繋ぐ防波堤が完成すると、歩いて渡れる洋上公園として開放されました。当時すでに弁財天堂はありませんでしたが、昭和35年のチリ地震津波で大きな被害をうけた沖の須賀(現在の本浜)地区に祀られてあった金刀比羅や八大龍王などの石碑を弁財天堂跡地に遷座し合祀したのが現在の荒島神社です。祭典日は七月二十五日で、宵宮には神々をお乗せした篝火船団が荒島から本浜まで海上を渡御し、それが後に「志津川湾夏まつり」へと発展しました。現在では「志津川湾夏まつり」は七月の最終土曜に固定され、荒島神社の祭典はそれとは別に祭典日に行われています。宵宮には船団に替わって地区の子供たちが篝火で照らされた荒島防波堤を歩いて渡って神輿をお迎えし、新漁港では夜神楽が舞われます。周辺は自然観察にも最適です。特に荒島の植生は特徴的で、島の東側にはタブノキ原生林を主体とした暖温帯林が、西側にはモミやケヤキからなる中間温帯林的な林が成立しており、荒島神社から南側の比較的平坦な土地にはスギが植えられています。林床には低木のミヤマシキミが大群落をなし、町の天然記念物に指定されています。」
http://www.m-kankou.jp/kanko/index3.php?id=40&ca=12

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敷石のレンガをピラミッド状に積んでいる。

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左、荒島。
右の奥の白い建物は「南三陸ホテル観洋」。

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袖浜漁港を見る。

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鳥居が折れ、石段が崩壊している。
この場所を訪問したのは三度目だが、最初はロープがなく、二回目はロープが1本だったのが今回2本に増えていた。
それなりに登っている人がいるのだなと思って、私も初めて登ってみる。
実は登るのは簡単なのだが、下りが怖い。
ロープは途中に支点なく、斜めに垂れているだけなので、万一落ちれば体が大きく振られ、手を放すと水際に落ちてしまう。
そしてその予想落下点に尖った岩がゴロゴロしているのである。

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あっさり登って、上から見下ろす。

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タブノキ越しに町中心部を望む。

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「荒嶋神社
鎮座地 本吉郡志津川町大森一六二
御祭神 綿津見神
    豊玉姫命
    金山彦命
    金山姫神
    大物主神
    市杵島比売命
例祭  七月二十五日
潮干祭 旧三月三日
御由緒
 御由緒不詳ではあるが、往古から荒島に地方漁民の信仰が篤かった弁天宮があった。近年はその神殿は廃絶し、荒島の南方に弁天島と称する島上に一石祠を遺すのみとなった。然るに、昭和三十五年五月二十四日チリ地震津波あり、当町内全域に大被害あり、特に本浜、大森等最も甚だしかった。
 その後の都市計画に基づき、本浜地内にあった左記の石碑を荒島に移し弁天宮に合祀して、新たに荒嶋神社を創建することに定め、昭和三十六年十一月社殿を新築して鎮座祭を執行した。
 金刀比羅大権現(文政四年八月十日 五十人集人中、沖の須賀講中)
 八大龍神(文久元年六月七日村中安全、導師喜明院祐順)
 塩竈神社(明治三十六年正月二十八日)
 山神社(明治三十五年三月十二日沖の須賀連中)
 山神(明治三十年三月十二日)
 素戔男大神(明治三十九年正月十五日沖の須賀村中安全)」

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弁財天。

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帰路に就く。

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高度感はけっこうある。
ロープを頼りにせず、慎重に下る。

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防波堤まで降りて、崩壊部分を見上げる。

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午後4時頃になってしまった。
すっかり太陽が傾き、日没が近い。
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袖浜漁港、午後3時

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袖浜漁港の「南三陸町漁業協同組合袖浜共同かき処理場」近くに駐車し、防波堤に上る。
防波堤の先に見えるのは荒嶋神社の鎮座する荒島。

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防波堤の先端。
右に荒島。

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ミニ灯台の跡。

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北西、大森崎方向。

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低い方に下りて、引き返す。

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荒沢神社。

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白い建物は「南三陸町海浜高度利用センター」。

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防波堤の屈曲点にて先端方向を振り返る。

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牡蠣養殖のための用具か。

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外海側。
波間に花束が浮かんでいた。
「南三陸町漁業協同組合袖浜共同かき処理場」近くで花束を手にした人を見かけたので、私が防波堤の端に行っている間に、その人が投げたものと思われる。

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裏手から見た「南三陸町漁業協同組合袖浜共同かき処理場」。

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「宮城県 志津川港
 第八政運丸」

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