2012年04月15日

戸倉・五十鈴神社、午後2時40分

【投稿日:2012年7月6日】
戸倉中学校仮設住宅での春祈祷が休憩時間に入ったので、近辺でまだ参詣していなかった五十鈴神社に行くことにした。
ここは戸倉小学校・戸倉保育所の児童・園児が避難した場所。
戸倉小学校についてはこちら。(2012年3月16日訪問時の様子)
http://chingokokka.sblo.jp/article/54486582.html

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戸倉小学校付近から津波で所々舗装が剥がされている道を進み、「宇津野高台」の五十鈴神社駐車場に車を停めて神社を見上げる。
原口・岩松『東日本大震災津波詳細地図上巻』によれば、五十鈴神社周辺の津波浸水高は20.71mで、小さな丘の上にある五十鈴神社の周りの本当にごく一部だけが津波を免れた。

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神社駐車場の端から戸倉小学校を見る。

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中央奥が戸倉中学校の校舎と体育館。

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同じ位置から少し右。

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更に右。
消防自動車が一台置かれている。

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沢山の杉の木が伐採されている。

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「奉祝天皇陛下御在位六十年記念
 五十鈴神社鳥居奉納者
 (※9名の氏名略)
 昭和六十一年四月吉日」

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宮城県神社庁の神社検索では、五十鈴神社は次のように紹介されている。

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鎮座地: 宮城県本吉郡南三陸町戸倉字千谷102-2
主祭神: 天照皇大神
例祭日: 9月16日
由緒:
土地の古老佐藤十右衛門の先祖伊勢参宮の折神璽を奉載し来り、これを此地に奉祀して守護神と仰ぎたるに創る。その年月不詳、明治に至り折立の産土神として住民の崇敬するところである。昭和22年保々倉神社を合祀する。
http://www.miyagi-jinjacho.or.jp/

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「清酒月桂冠」の箱に「平成二十四年三月十一日」との日付と奉納者名が書かれている。

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この小さな社殿で児童・園児が一夜を明かしたという。

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被災時の焚火跡であろうか。

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参道を引き返す。

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僅かな高さの違いであるが、手前の家は撤去され、奥の家は無事。

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神社駐車場から望遠レンズで周囲を撮影。
戸倉小学校。

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戸倉中学校。

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戸倉小学校の体育館の奥、水戸辺漁港と水戸辺仮設住宅。

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椿島。
右は魔王神社のある松崎。

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折立漁港の防波堤。
中央奥は荒島、右が荒砥崎。

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折立川防潮水門。

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国道398号線、折立。

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posted by 神宮威一郎 at 14:40| Comment(8) | 南三陸町

波伝谷・春祈祷(その3、戸倉中学校仮設住宅)、午後2時20分

【投稿日:2012年7月6日】

水戸辺仮設住宅から戸倉中学校仮設住宅に移動。
4月15日に行われた波伝谷春祈祷は翌16日の『河北新報』では次のように報道されたが、この記事に付された写真は戸倉中学校で撮影されたもの。

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豆腐かみ、災厄封印 南三陸・戸倉で2年ぶり春祈祷

 東日本大震災の津波で被災した南三陸町戸倉の波伝谷地区で15日、伝統行事「春祈祷(きとう)」が2年ぶりに行われた。
 地区住民が住む仮設住宅を獅子が回り、集会所で邪気を吸い込み、豆腐をかんで封じ込めた。太鼓や笛の音に合わせて獅子が舞うと、集まった住民から大きな拍手が送られた。獅子を操った長嶋涼太さん(34)は「震災で落ち込んだ気持ちを少しでも盛り上げたい」と話した。最後に獅子は海岸で口を開け、吸った災厄を海に流した。
 春祈祷は町の無形民俗文化財。昨年は3月13日に行われる予定だったが、津波で地区のほぼ全戸が流失。高台の戸倉神社に安置された獅子頭だけが被害を免れた。全国の支援で衣装などをそろえ、神社の例大祭に合わせ開催にこぎ着けた。
 波伝谷契約講の三浦俊喜講長(49)は「春祈祷は悪魔払い。震災があったからこそやりたかった。住民は今、仮設住宅で離れ離れだが、地域一丸となり復興の一歩にしたい」と話した。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20120416_01.htm

なお、『波伝谷の民俗─宮城県南三陸沿岸の村落における暮らしの諸相─』(東北歴史博物館、2008)のp159以下に春祈祷の詳細な解説が載っている。
http://www.thm.pref.miyagi.jp/archives/book_pdf/minzoku/hadennya_minzoku.pdf

一か月前の2012年3月16日に戸倉中学校を訪問したときの様子はこちら。
http://chingokokka.sblo.jp/article/54502691.html

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仮設住宅の「集会場」前。

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ビデオカメラに「TBC」と書いてあるので、宮城県のテレビ局、東北放送の一行。

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春祈祷においては戸倉神社の神職が常に二人で行動しているように思えて少し気になったが、『波伝谷の民俗─宮城県南三陸沿岸の村落における暮らしの諸相─』によれば、神仏分離前の戸倉明神では宝道院・宝覚院の二院の羽黒修験が別当を務めており、「明治に神仏分離令が布達されると、2院は復飾して神職となり、旧宝道院は斎藤仲家、旧宝覚院は斎藤直人家として現在に至っている。神職は現在3名おり、斎藤仲氏が宮司、斎藤直人氏が禰宜、仲氏の子息である斎藤宏氏が権禰宜である」とのことなので(p149)、二院が存在していた当時からのしきたりが反映しているのであろうか。

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獅子が「集会場」へ入って行く。

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『河北新報』記事に登場する三浦俊喜講長。

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中央の人が手にしているのは「戸倉神社祈祷神符」。(要拡大)

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完全に出来上がっている人、2名。

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「SoftBank 携帯電話 相談窓口」
「4月 南三陸ホテル海洋 イベント情報」
「南三陸町図書館だより 4月の予定」
「ウジエスーパー 無料送迎バス」
「4月5日(木) こうやさん足湯隊 またやってきまーす!」
「シーサイド・センターの時刻表」

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上の写真を撮った後、五十鈴神社に参詣し、境内と周辺を撮影した。
30分後に再び戸倉中学校に戻ったところ、一行は獅子が吸い込んだ災厄を海に流す最後の行事を行うために海岸に向かうところだった。

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「宮城県志津川自然の家」のバス。

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posted by 神宮威一郎 at 14:20| Comment(0) | 南三陸町

波伝谷・春祈祷(その2、水戸辺仮設住宅)、午後1時40分

【投稿日:2012年7月5日】

魔王神社から水戸辺仮設住宅に移動。

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神職二人が何か述べておられるようだが、相手も見えず、声も聞こえず。

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帽子をアミダにかぶった人が登場。

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獅子がまとっている布には「平成二十四年三月吉辰 波伝谷契約講」とある。

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獅子の動きが見違えるように良くなる。

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ピタリと息の合った絶妙なステップ。

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榊を持つ手の動きも素早い。

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テレビクルーや新聞記者も魅了されている。

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日本酒を注いでいるのが波伝谷契約講の講長さん。

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休憩時間に入ったため水戸辺漁港に行って写真を撮っていたところ、暫くしてお囃子の音が響いてきたので仮設住宅に戻った。
上の写真から20分後。

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何をやっているのか、よく分からず。

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マスコミ関係者は獅子と車いすに座ったお年寄りのやり取りを撮影しているらしい。
posted by 神宮威一郎 at 13:40| Comment(0) | 南三陸町

波伝谷・春祈祷(その1、魔王神社)、午後1時10分

【投稿日:2012年7月5日】
波伝谷の春祈祷が復活すると聞いて訪問してみた。
例年の行事の様子は南三陸町観光協会サイトで次のように紹介されている。

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波伝谷の春祈祷(はでんやのはるきとう)

毎年三月の第二日曜に波伝谷地区で行われる行事で、獅子舞が東の村境から一軒づつ家々を廻り、悪気を封じ込めた豆腐をくわえて舞います。日の暮れた頃に西の村境に到着し、身内にたくわえた悪気をすべて海に流して清めます。

波伝谷契約講によって執り行われる行事で、昔は旧暦二月十五日と定められていました。春祈祷前日が契約講の総会で、総会終了後に精進料理を食べ獅子舞の練習をします。昔はそのまま夜籠りしました。翌早朝、戸倉神社に集まって朝日を遥拝した後、東の村境へ移動し、魔除けの札を立て獅子を舞ってから移動をはじめ、波伝谷地区内を東から西へと、獅子が全戸を廻って家々の悪気を取り込んで行きます。まず榊の枝を持った先達が縁側から入り、塩を撒いてで清めながら座敷を通り抜け戸口から出ます。続いて宮司らが神棚の前で悪魔退散のお札を供えて祈祷を行い、その間に獅子も縁側から入って戸口へと通り抜けます。このとき各家では必ず豆腐を用意しておき、これを依り代として家内の悪気を封じ込め、獅子に飲み込んで貰います。これを繰り返して日没頃にようやく西の村境に辿り着くと、朝と同様にお札を立ててから海岸へ移動し、先達役が持って歩いた榊の枝を立て、石を投げてこれを海に落とすことで集落中の悪気をまとめて海に祓い流します。このとき獅子は大きく口を開いて今日一日溜めに溜めた悪気を吐き出し、以後、翌年の春祈祷まで口を開きません。獅子頭を神社に納めた後、精進おとしの「なおらい」になります。
http://www.m-kankou.jp/kanko/index3.php?id=60

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大川小学校や北上総合支所等を廻ってから波伝谷に向かったので、到着が午後1時過ぎになってしまった。
行事の進行の具合が分からず、とりあえず戸倉神社に行ってみた。
暫くすると法被を着た人を荷台に乗せた軽トラックが通りかかったので、ついて行くことにした。

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マスコミを含めた一行は舗装されていない山道をどんどん登って行く。
やがて小さな神社があった。

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巨木の下で先ず神事。
マスコミ関係者が取り囲む。
訪問時には神社の名前すら分からなかったが、これが「魔王神社」。

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笛の音が響き始める。

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足元が傾斜地になっていることもあり、少しモタモタした動き。

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あっさりと終了。

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榊を抱えた人が軽トラックに戻って行く。

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戸倉神社の神職であろう。

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登ってきた山道を戻る。
細い道なので関係者を乗せた軽自動車はバックで下りて行く。

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中央、変色した杉林の中に戸倉神社が見える。(要拡大)

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中央、奥が椿島。
その右手前が竹島。

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古い墓地があった。

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posted by 神宮威一郎 at 13:10| Comment(0) | 南三陸町

2012年03月16日

南三陸町・戸倉神社(その2)、午後3時35分

【更新日:2013年12月12日】

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「昭忠碑」は日露戦争の戦没者を、「忠魂碑」は太平洋戦争の戦没者を祀ったもの。

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「波伝谷板碑群」前から鐘楼と社殿を見る。

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中央、奥が椿島、手前が竹島。(要拡大)

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少し左。

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津波で変色した杉の木の下の坂道を通って海側に出る。

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中央奥は波伝谷仮設住宅。(要拡大)

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杉林の中の戸倉神社を見上げる。
神社が鎮座する小高い丘は標高37m。

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小沼。

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中央の船と右の椿島のちょうど中間あたり、焼け焦げた立木が小さく見えている。
まるで観音像のようだと地元でも評判になっているという。(要拡大)

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国道398号線、神割崎方面。

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少し左。

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国道398号線を志津川方面に少し進んだ地点から戸倉神社を見上げる。
神社の西側斜面は津波で大きく抉られている。

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少し右。

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国道398号線を挟んで戸倉神社と反対側に大きな恵比寿・大黒像が見えたので、近づいてみた。

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恵比寿像。

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大黒像。

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恵比寿・大黒像の背中と戸倉神社。
特に宗教的な施設の跡とも思えなかったが、個人宅にしてはずいぶん立派な石像。

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明神沼。
戸倉神社の社伝によれば、登米市津山町横山の横山不動尊が百済から船に乗って漂着した時、ここで船が裂けて沈んだという。
posted by 神宮威一郎 at 15:35| Comment(0) | 南三陸町