2012年03月13日

杉ノ下地区の慰霊碑、午後5時

【投稿日:2012年7月22日】

以下、時事通信社2012年3月11日配信記事を引用。

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「この地、忘れない」=93人犠牲、地区に慰霊碑−宮城・気仙沼

 住民312人のうち93人が犠牲になった宮城県気仙沼市の杉ノ下地区。指定避難場所に逃げ、犠牲になった人が多かった。家族全員を亡くした世帯は10を数え、全世帯が地区から離れた。この日は「絆」と刻まれた慰霊碑が地区に完成。遺族らが集まり、除幕式をした。
 地区遺族会の代表佐藤信行さん(61)は「この地に住むことはかなわずとも、亡くなった皆さんのことは決して忘れられません」とあいさつ。
参加者からはすすり泣きが漏れた。多くの家族は式典後も、流された自宅跡で名残を惜しんだ。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201203/2012031100076

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「    絆
 あなたを忘れない
 「ここに居れば大丈夫だ」
 しかし、無常にも第一波で
 下手から家や車が押し寄せ
 そして、第二波、第三波が・・・
 九十三名の尊い命と
 すべての財産が海へと散った
 あの一声が無上の叫びに
 私たちはあなたを忘れない
 いままでありがとう
     こころやすらかに
         杉ノ下地区民一同」

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「東日本大震災の爪痕
 平成二十三年三月十一日(金)
       午後二時四十六分
 マグニチュード九・〇
 津波の高さ 一八メートル
千年に一度と言われる大地震と
 巨大津波に襲われた杉ノ下地区は
 壊滅的な被害を受けた
 地区民三百十二名、八十五世帯の
 家屋は、巨大津波に飲み込まれて
 土台を残してすべて流失
 七十五世帯、二百十九名が
 避難生活を余儀なくされた
 平成二十三年十二月十日 残されていた全壊家屋が取り壊され
 杉ノ下地区から全ての家屋が消えた
 この悲劇を繰り返すな
 大地が揺れたらすぐ逃げろ
 より遠くへ・・・より高台へ・・・

  犠牲者名
 一班
 二班
 三班
 四班
 五班
    杉ノ下遺族会」


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南東方向。
奥は御伊勢崎。
杉ノ下地区の慰霊碑建立のニュースを伝える新聞の中には「杉ノ下高台」という表現を使っているものもあったが、実際にその場所に立ってみると「高台」とは言い難い場所だった。

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同じ位置から少し左。
中央・奥に「海の殉難者慰霊塔」。
更にその奥は岩井崎。(要拡大)

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更に左。
中央・奥は気仙沼向洋高校。

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杉ノ下漁港。

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少し左。
御伊勢崎。

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「海の殉難者慰霊塔」

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気仙沼向洋高校。
posted by 神宮威一郎 at 17:00| Comment(0) | 気仙沼市

地福寺、午後4時30分

【投稿日:2012年7月22日】

震災から4か月後、2011年7月10日の地福寺の様子はこちら。
http://chingokokka.sblo.jp/article/52189607.html

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更地になった住宅跡の地福寺臨時駐車場から。
南方向。

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少し左。
中央・奥に「海の殉難者慰霊塔」。(要拡大)
慰霊塔は地福寺が管理する明戸霊園の中にある。
http://chingokokka.sblo.jp/article/57143014.html

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「いのりの広場」

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竹細工の灯籠が沢山ある。
訪問の3日前、3月10日に行われた「震災メモリアル鎮魂の夕べ」で用いられたもの。
http://jifukuji.blogspot.jp/2012/02/blog-post.html

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蓮の花をイメージしたものらしい。

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動物慰霊碑。
花の陰で分かりにくいが、向かって右に白い犬の像。
左に猫。

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慈母地蔵と呼ぶのだろうか。

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胸に子供が一人。

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足元に三人。

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宮城県立気仙沼向洋高校の校舎。

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ダンプカーが頻繁に往来する。
posted by 神宮威一郎 at 16:30| Comment(0) | 気仙沼市

波路上漁港、午後4時25分

【投稿日:2012年7月21日】

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岩井橋水門に向かう。

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損傷の激しい岩井橋水門。
奥の白い建物には「JF 全漁連」とある。
漁業協同組合の施設。

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仮設橋の上を歩く。
中央・奥、宮城県立気仙沼向洋高校。

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水門の前の橋を渡り切った地点から。
南東方向。

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東方向。

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北東方向。

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「いわいばし」

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仮設橋を往復して戻った地点から北西方向。

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同じ位置から少し左。
波路上内田地区。

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岩井川に沿って地福寺に向かう。
気仙沼向洋高校。
4階の窓ガラスまで完全に破壊されている。

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中央・奥の高台に地福寺がある。
posted by 神宮威一郎 at 16:25| Comment(0) | 気仙沼市

古谷館・八幡神社再訪、午後4時

【投稿日:2012年7月21日】

宮城県神社庁の県内神社検索では「八幡神社」が次のように紹介されている。

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鎮座地: 宮城県気仙沼市松崎中瀬95
主祭神: 品陀和気命、息長帯比売命、大雀命
例祭日: 旧9月15日
由緒:
後冷泉天皇の永承6年(1051、平安)8月源頼義奥州征伐の時の勧請にして古谷館八幡と称す。天喜5年源義家修復を加え鎧1領を献じて崇敬したと伝えらる。(口碑)古は当郡大谷村他七ヶ村の鎮守として幕府巡見使巡国の度毎に参詣賽貨を献ずる例であった。宝暦10年9月領主鮎貝越中藤原盛信は太刀一振を納める等武将並に一般の尊崇を蒐めた。(社蔵記録)明治5年村社に列し、同40年幣帛共進社に指定せられた。同42年14社を合祀する。

宮城県神社庁
http://www.miyagi-jinjacho.or.jp/

前回参詣時(2011年8月20日)の様子はこちら。
http://chingokokka.sblo.jp/article/57144360.html

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主要地方道26号線(東浜街道・気仙沼唐桑線)から八幡神社を見上げる。

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擁壁との間の崩れた部分は未だに応急処置が施されているのみ。

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滑り台の上に登って周囲を見る。
南方向。

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松岩尾崎地区。

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海辺の小さな丘に尾崎神社が鎮座。

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東方向。
松岩片浜地区。
松岩漁港の奥に大島の亀山。

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石段の上まで戻り、改めて松岩尾崎地区を見る。

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瓦礫は撤去されたが、本当に何もなくなってしまった状態。

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「松葉寿司
 移転して営業しています」
posted by 神宮威一郎 at 16:00| Comment(0) | 気仙沼市

松崎尾崎・尾崎神社、午後3時30分

【投稿日:2012年7月20日】

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松崎尾崎地区の尾崎神社に向かう。
黒い土嚢が積まれているだけの仮防波堤の先にコンクリート製の建物がある。

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コンクリート製の建物に登って、西方向を振り返る。
右・奥の小高い丘には古谷館八幡神社がある。

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南西方向。

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南方向。
中央・奥は岩井崎。

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南東方向。
奥は大島。

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東方向。
尾崎神社の鎮座する小さな丘。
その右・奥は大島の亀山。

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北東方向。
この後、一階も見てみたが、結局何の建物だったのかは分からず。

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神社の南側を回り込むようにして松岩漁港に向かう。

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南側の白いテント。

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北側の白いテント。

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神社の周囲を一周近く廻り、斜面を適当に登ると参道途中の平らな場所に出た。
そこから西方向を見る。

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反対側。
石段がある。

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「馬頭尊」

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大島の亀山。

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「 記念碑
 明治初年、当地方に悪疫が流行した。医療も未開な時代なので、病に犯されるのを憂慮した当部落では鎮守八幡神社に籠り、もしこの悪疫が当部落に入らなかったなら、神のご加護として御礼に神社の祭典に際し、神輿の先供として大名行列を組織し奉納します」と祈願したところ、幸いにも尾崎地区は悪疫から免れたので、津谷山田から指導者を招き、数十名をもって組織し、古式に依った行列で祭典にお供したのが起源であり、時は明治十四年と伝えられている。
 爾来、旧暦九月十五日の祭典には事情の許す限りお供し、時には九条羽黒神社の祭典や、かつて気仙沼小学校校庭に建てられた鮎貝盛徳翁の銅像除幕式にも出たりした。
 昭和十六年十二月八日勃発した太平洋戦争により一時中断せざるを得なかった。終戦後進駐軍の命により、武具と思われる物は木刀にいたるまで没収され再起が危ぶまれた。その後時を経て再度復活の声が高まり、昭和二十八年八月市制施行記念の「みなと祭り」に初参加して以来数年ごとに行われてきた。
 先頭に立つ弦月旗は鮎貝家の家宝を型どったものであり、「九曜星」「竪三引両」は同家の紋章で、共にお許しいただいたものである。以来参加人員も百数十名とふえ、それに付随する人々の動員等を含め全部落あげての行事にまでなった。今、部落融和の基ともいわれ今日に及んでいる。
 数えて本年は恰も百周年に当る。これを記念して本碑を建立し後世に伝えることとした。
    昭和五十六年十月十五日 尾崎大名行列保存会 建之
                 撰文並書 佐藤龍一郎」

鮎貝家については気仙沼市公式サイト内に解説がある。
「煙雲館庭園・落合直文」
http://www.city.kesennuma.lg.jp/www/contents/1155627502366/index.html

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「鯨之璽」

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「 契約碑
 尾崎神社並同境内ヲ維持スルニ当リ従来尾崎神社別当ニシテ同
 地々主タル熊谷源治郎ト松岩村青年団第二尾崎支部ト協議ノ上
 大要左ノ通リ契約ス 但契約証ハ二通作成両者各一通ヲ所持ス
 一、熊谷源治郎ハ松岩村青年団第二尾崎支部ニ対シ尾崎神社境内並参
   道ト其周囲ノ地域約三百坪ヲ無料ニテ永久貸与スルモノナリ
 一、社殿ノ移転改修ヲ為ス場合ハ両者協調スルモノトス
 一、同地域ニ関スル一切ノ行為ハ総テ松岩村青年団第二尾崎支部ノ承
   諾ヲ要スルモノトス 以上
      昭和七年十一月十七日
        宮城県本吉郡松岩村尾崎百九番地
              松岩村青年団第二尾崎支部長 小野寺盛康
     昭和九年二月十一日
       為後日 岩村青年団第二尾崎支部 建之」

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大島汽船のフェリー。

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参道の坂を下りる。

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神社を振り返る。

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酒徳利が置いてある。(要拡大)

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「庚申碑」

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「使用したいのです」
所有者が撤去しないように要望した紙を貼っている。

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地盤沈下のため、水がなかなか引かない場所がある。
posted by 神宮威一郎 at 15:30| Comment(0) | 気仙沼市