以下、時事通信社2012年3月11日配信記事を引用。
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「この地、忘れない」=93人犠牲、地区に慰霊碑−宮城・気仙沼
住民312人のうち93人が犠牲になった宮城県気仙沼市の杉ノ下地区。指定避難場所に逃げ、犠牲になった人が多かった。家族全員を亡くした世帯は10を数え、全世帯が地区から離れた。この日は「絆」と刻まれた慰霊碑が地区に完成。遺族らが集まり、除幕式をした。
地区遺族会の代表佐藤信行さん(61)は「この地に住むことはかなわずとも、亡くなった皆さんのことは決して忘れられません」とあいさつ。
参加者からはすすり泣きが漏れた。多くの家族は式典後も、流された自宅跡で名残を惜しんだ。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201203/2012031100076
「 絆
あなたを忘れない
「ここに居れば大丈夫だ」
しかし、無常にも第一波で
下手から家や車が押し寄せ
そして、第二波、第三波が・・・
九十三名の尊い命と
すべての財産が海へと散った
あの一声が無上の叫びに
私たちはあなたを忘れない
いままでありがとう
こころやすらかに
杉ノ下地区民一同」
「東日本大震災の爪痕
平成二十三年三月十一日(金)
午後二時四十六分
マグニチュード九・〇
津波の高さ 一八メートル
千年に一度と言われる大地震と
巨大津波に襲われた杉ノ下地区は
壊滅的な被害を受けた
地区民三百十二名、八十五世帯の
家屋は、巨大津波に飲み込まれて
土台を残してすべて流失
七十五世帯、二百十九名が
避難生活を余儀なくされた
平成二十三年十二月十日 残されていた全壊家屋が取り壊され
杉ノ下地区から全ての家屋が消えた
この悲劇を繰り返すな
大地が揺れたらすぐ逃げろ
より遠くへ・・・より高台へ・・・
犠牲者名
一班
二班
三班
四班
五班
杉ノ下遺族会」
南東方向。
奥は御伊勢崎。
杉ノ下地区の慰霊碑建立のニュースを伝える新聞の中には「杉ノ下高台」という表現を使っているものもあったが、実際にその場所に立ってみると「高台」とは言い難い場所だった。
同じ位置から少し左。
中央・奥に「海の殉難者慰霊塔」。
更にその奥は岩井崎。(要拡大)
更に左。
中央・奥は気仙沼向洋高校。
杉ノ下漁港。
少し左。
御伊勢崎。
「海の殉難者慰霊塔」
気仙沼向洋高校。