2012年08月20日

大洲海岸(その5)、午後1時50分

【投稿日:2013年3月26日】

相馬市公式サイト内の「松川浦県立自然公園・松川浦のうつりかわり」に次の記述がある。

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現在、松川浦での船の出入りは、松川浦大橋のある、岩盤が掘られている地点で自由に行き来できるようになっていますが、それにいたるまで浦口は大きく変化してきました。
年代は不詳ですが大昔、浦の出口は、現在大洲公園となっている古湊あたりだったといわれています。
中世社会時代(西暦1000年)のころには、浦の出口は中州の真ん中ころにありましたが、次第に北上して、しまいには鵜の尾岬の南下まで来ました。この川口は飛鳥湊と呼ばれ、川口が時々変わることからこの名が付けられたといわれています。
この飛鳥湊の川口も潮流の変化や暴風などにより、砂が流れ込み、塞がれることがあったため、浦の北の方、原釜港に近い方を開削して新たな川口をつくることになりました。
(後略)
http://www.city.soma.fukushima.jp/kanko/matukawaura_hensen.html

上記ページの地図を見ると、防波堤が崩壊したのは直近の開口部分である飛鳥湊近辺。

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鵜の尾岬寄りの防波堤崩壊部分。
測量用の道具らしいものをかついだ人が1人。(要拡大)

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尾浜地区の松川浦旧漁港。
新漁港は松川浦大橋の北側にある。
左隅の黄色い建物が「賀都屋旅館」。

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同じ位置から少し左。
黄色のパワーショベルの奥、「ホテル喜楽荘」。(要拡大)

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青海苔養殖用の竹竿の上、赤・黄・青・白の小さな旗が風に靡いている。(要拡大)

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鵜の尾岬に行くことも考えたが、炎天下でいささか体力を消耗したため、引き返すことにする。

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防波堤に戻る。
青々とした草原を見るとホッとする。

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右側は対照的に荒涼とした光景が広がる。

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二艘の漁船が引き返してきた。(要拡大)

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中央に船が見える。(要拡大)

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クレーンを積んだ浚渫船らしい。

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先頭は「第二丸義丸」。
船上は空っぽ。

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後続の「第一六軒丸」船上にも往路で見かけた青々とした海藻は積まれていない。

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posted by 神宮威一郎 at 13:50| Comment(0) | 相馬市
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