2013年01月15日

如月庵、午後1時20分

【投稿日:2013年2月23日】

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石碑がある。

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「湯殿山」
上の写真と同じ敷地。

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強風に晒されて道路はカチカチに凍っている。
お墓詣りに来ている人の車が1台。

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「如月庵」

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「東薺塩場碑(とうなしおばひ)」

『江戸時代 人づくり風土記4 宮城』(農山漁村文化協会、1994)の「古代から続く製塩業」(高倉淳氏執筆)に次の記述がある。(p136)

「高城塩田創始者の伊藤三郎右衛門信茂から七代目に元直という人がいます。元直は、安永七年(一七七八)に高城塩田から独立して、松島湾東端の東名長浜(とうなながはま、今の鳴瀬町)の砂州に播州流塩田を開きました。東名の如月庵(じょげつあん)には元直像が安置され、境内には先祖の功績をたたえ、享和二年(一八〇二)に建った「東薺塩場碑(とうなしおばひ)」があり、次のようなことが刻まれています。

 磯崎に奈良和元直(ならわもとなお)という人格円満な人が、安永年中に東名の
 ペンペン草しか生えない荒れた土地に、仲間をつれて堤防を築き、四方に溝を
 通じて、画して釜を構えた、伊藤を再び奈良和と改め唱える事にした(後略)

 この御塩場は元直の自己資金で開田され、二十五町八反(二五五八アール)におよびました。生産量も徐々に増えて、文化四年(一八〇七)には、年間生産量が一万四千俵にまでなっています。」

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「支那事変戦死者英霊供養」

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読めず。
最初は「施」らしいので「施無畏」か。
読める方はご教示願います。(要拡大)

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「大円鏡智 為東日本大震災物故者諸精霊」

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台座の上にあるはずの聖観音像は流出。

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東南方向。

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道路を越えて如月庵と向かい合った地点から東方向を見る。
強風で雪煙が舞っている。

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東南方向。
航空自衛隊野蒜通信所のアンテナ。

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「BOSS」
南方向、東名漁港へ向かう車。

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水道の配水管から水が漏れて泉のようになっている。

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南方向に少し進んだ地点から如月庵を振り返る。
奥は東名水門。

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少し右。
posted by 神宮威一郎 at 13:20| Comment(0) | 東松島市
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