自分なりの調査の最終確認として、この場所までどのくらいの時間で避難できたかを調べるために大川小学校に行ってみた。
前回の結論:「大川小学校の裏山再訪(その4)」
http://chingokokka.sblo.jp/article/54661115.html
大川小学校の手前の空き地に駐車して長面浦方向を見る。
少し右。
大川小学校。
更に右。
本当に何もなくなってしまった。
震災当日に児童が目指した北上大橋のたもと、地元の通称「三角地帯」を振り返る。
沢山の桜の造花と鯉のぼり。
「津波到達点」のプレートの下に移動。
「津波到達点」のプレートを見上げる。
プレートまではかなり大勢が登っていて踏み跡ができているので、2メートルほど離れたところを最初のコンクリートの平場まで登ってみた。
特に急ぐことなく、淡々と登って35秒かかった。
踏み跡をたどれば30秒ほどか。
コンクリートの平場から大川小学校の校舎を見る。
第一の平場から第二の平場を見上げる。
正確な角度は第一の平場までの斜面と同じなのかもしれないが、微妙に角度が増しているような感じがして、いささか圧迫感がある。
第一の平場の東端から体育館の裏の杉林に降りる。
亡くなった児童の父兄が、『河北新報』2011年9月8日付記事で、避難場所とすべきだったと主張されている場所。
点在する平べったい石は江戸時代の年号が入った古い墓石。
近くの墓地から津波で流出したと思われる。
校舎を見る。
この青いテープが巻かれた杉のあたりの高さが、コンクリートの平場とほぼ同じ。
青いテープの杉を出発点として、校舎前の慰霊碑まで大人の普通の速さで歩いてみたら、2分30秒ちょうどだった。
ついで同じルートを慰霊碑から青いテープの杉まで戻ってみたら、やはり2分30秒だった。
青いテープまで少し登りとなっているので、時間に若干の差が出るかと思ったが、今回は全く同じだった。
旅行会社のバスやタクシーに乗って、大勢の人が校舎前に来ては去って行く。
少し前、このタクシーの運転手さんが案内してきた客に、周囲の地形を指さしつつ震災当時の状況を説明していた。