大川小学校関係の新聞記事やネット情報を見ると、「裏山」の安全度に関する地元の人の評価が異なっているが、これは「裏山」の範囲が明確でないためと思われる。
人によって微妙に異なった場所を大川小学校の「裏山」と把握していて、それを現地の地形を知らないマスコミ関係者が分析しないまま報道し、混乱を増幅させている。
(A)体育館裏の杉林、(B)斜面を切り崩した草付き、(C)竹藪、(D)竹藪の西の杉林、といった具合にゾーンを分けて、個々の証言の「裏山」がどの部分を指しているのかを明確にすれば、それなりに整合性のある理解が得られると思われる。
例えば亡くなった児童の父兄の一部が、「三角地帯」などより遥かに安全で、わずか数分で全員避難できたはずだと主張している(A)体育館裏の杉林は、『河北新報』2011年9月8日記事の写真に出ている範囲では倒木はないが、上の方に行けば倒木はあるので、倒木があると言っている人が嘘をついている訳ではない。
ただ、結論としては、私は当該記事に紹介されている父兄の意見に完全に賛成する。
判断の遅れについての批判はひとまず置くとして、現実に避難を開始した午後3時25分の時点において、「三角地帯」ではなく(A)体育館裏の杉林を選択すれば、午後3時37分の津波襲来まで12分間あるから、全員が助かったはずだと考える。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110908_01.htm
上に見えた建物を目指して墓石の横を登ってみる。
踏み跡がある。
何かの作業小屋のように見える。(要拡大)
コンクリート製のがっしりした建造物だった。
何気なく撮影したところ、フラッシュが発光して驚いた。
正午の大川小学校到着時には晴れていたが、いつの間にか天気が悪化していた上、杉林の中に入り込んでいたので、周囲が相当暗くなっていた。
到着。
昭和35年に造られた釜谷地区の水道施設だった。
2枚のプレートに浄水場建設の趣旨・経緯・関係者の氏名・役職等が刻まれている。
浄水場より上にも登れるが、引き返すことにした。
二日前に登った踏み跡に近づくため、杉の枯れ枝を踏んでトラバース気味に移動する途中の地点で下を見る。
踏み跡ははっきりしないが、枯れ枝の煩わしさを我慢すればどこでも歩ける。
溝状の地形を直上する明瞭な踏み跡に合流。
中央の少し上、コンクリートの平場を見る。(要拡大)
雨が降ってきた。
「モマケズ
ニモマケズ」
雪混じりの雨が激しくなり、車に逃げ込む。
横着をして車の中から撮影。
車に逃げ込んでから約10分後、雨の勢いが弱まったので車から出て周囲を眺める。
雲の切れ間に青空が広がっているところもある。
「三角地帯」と新北上大橋。
この日は本当にめまぐるしく天気が変わり、この後、富士沼周辺に行くと豪雨となった。
その後、雄勝町の仮設商店街に行くと大粒の雹が降ってきた。