2012年03月16日

南三陸町・戸倉神社(その1)、午後3時30分

【更新日:2013年12月12日】

宮城県神社庁の神社検索では戸倉神社は次のように紹介されている。

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戸倉神社(とぐらじんじゃ)
鎮座地: 宮城県本吉郡南三陸町戸倉字戸倉30
主祭神: 武内宿祢、国常立命、天児屋根命
例祭日: 旧9月2日
由緒:
後白河天皇、保元2年(1157)のこと横山不動尊百濟国から塩津浦(当浜)に漂着したが、着いた後地裂し、二分されて、その商船が池深く沈んだと伝えられている。その船の錨石が有った場所として現在家号、錨石と云う家号がある。又錨石神社もある。この池は明神沼で地裂した着船の船具を積み重ね、その上に戸倉明神社が鎮座されました。一の社は武内宿祢、二の社は国常立尊、三の社は天児屋根命であったが、明治2年に神仏分離の時から、三社が合祀されたと伝えられている。
http://www.miyagi-jinjacho.or.jp/

波伝谷と戸倉神社については東北歴史博物館調査報告書「波伝谷の民俗−宮城県南三陸沿岸の村落における暮らしの諸相−」(PDF版)に詳しい。
http://www.thm.pref.miyagi.jp/archives/book_pdf/minzoku/hadennya_minzoku.pdf
また、「農漁家民宿かくれ里」のホームページとブログも参考になる。
http://homepage3.nifty.com/kakurezato/index.html
http://kakurezato.cocolog-nifty.com/blog/

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波伝谷(はでんや)に鎮座する旧戸倉村の鎮守、戸倉神社を国道398号線から見る。
手前はガソリンスタンド跡らしい。

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宮司宅跡に置かれた仮社務所用のコンテナハウス。
大崎八幡宮のブログ「麻美子の部屋」の2011年8月7日記事に設置時の説明がある。
http://www.okos.co.jp/oosaki/thisweek/index.html

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第一鳥居跡。

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「震災復興祈願」

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第二鳥居跡。

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「平成八年※月※日
 長床並に第二鳥居新築工事寄付者名簿
 波伝谷部落
 (略)
 津の宮部落
 (略)」

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「水戸辺部落
 (略)
 在郷部落
 (略)」

戸倉神社は旧戸倉村の波伝谷・津の宮・水戸辺・在郷の四部落(集落)の総鎮守で、長床・鳥居新築工事の寄付者名も四つの集落毎に列挙されている。
この四つの集落のうち、波伝谷・津の宮・水戸辺は海辺に位置し、津波の到来を予想して避難した人が多かったため犠牲者は少なかったそうであるが、内陸の在郷集落では住民約二百人のうち、約五十人の死者・行方不明者を出したという。

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「戸倉神社」

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鐘楼。

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「施主氏子中
 (中略)
 平成十三年九月二日」

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「戸倉神社鐘銘」

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二羽の鳥が浮き彫りになっている。

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右から
「天照皇太神」
「月山 湯殿山 羽黒」
「金毘羅大権」
「庚申」
(...)
(...)
「度会神社」
(...)
「度会神社」

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「波伝谷板碑群(はでんやいたびぐん)
 板碑は中世の供養碑です。志津川ではこれまで約280基の板碑が発見されており、鎌倉時代の弘安六年(1283)から室町時代の宝徳三年(1451)までの年号が読み取れますが、南朝の年号や戦国時代に入ってからの板碑は確認されていません。
 波伝谷地区には43基の板碑がみられ、うち年号の刻まれたものは15基(1283〜1397)で、弘安六年(1283)のものは気仙沼・本吉地方で最古の板碑です。また、ここに並ぶ28基は、平成元年に国道の拡幅工事に伴って戸倉神社下の明神池から掘り出されたものです。
 志津川の中世を語る文献史料はほとんど残されていないため、板碑の存在は当時の歴史を知るうえで貴重な手懸かりとなります。今後とも大切に残していきましょう。
  平成15年3月 志津川町教育委員会」
posted by 神宮威一郎 at 15:30| Comment(0) | 南三陸町
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