2012年03月16日

南三陸町・水戸辺漁港、午後3時05分

2011年08月25日付『河北新報』より引用。

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苦難越え供養の舞再び 南三陸町で郷土芸能「水戸辺鹿子躍」

 宮城県南三陸町戸倉水戸辺地区の郷土芸能「水戸辺鹿子躍(ししおどり)」の保存会メンバーが東日本大震災を乗り越え、活動を続けている。水戸辺鹿子躍は岩手県南部から宮城県北部に広がった行山流のルーツとされ、長く途絶えていた伝承を18年前に復活させた。メンバーは津波で流出した衣装や道具を拾い集め、外部の支援も受けて活動再開にこぎ着けた。
 水戸辺鹿子躍は、鹿頭を着けた8人の踊り手が太鼓を打ちながら踊り、魔よけを祈り、先祖を供養する。震災後は7月から本格的な活動を再開し、仙台市であった六魂祭や登米市の夏祭りに出演。勇壮な踊りを披露し、来場者から盛んな拍手を浴びた。
 東日本大震災の津波は地元の水戸辺、在郷地区を襲い、保存会メンバーだった22歳の男性と、中学2年の男子生徒の命を奪った。太鼓などの道具と衣装を保管していた公共施設も流された。保存会会長で養殖業の村岡賢一さん(61)らは泥にまみれた太鼓や衣装を一つ一つ拾い、洗った。
 被災地の伝承団体の苦境を知った国立民族学博物館(大阪府)の林勲男准教授(53)らは「愛deer(アイディア)プロジェクト」を結成。長野、兵庫両県から集めた鹿の角10対を村岡さんに送った。
 水戸辺鹿子躍は地区の石碑などから、行山流の起源として江戸時代中期に始まったとされるが、長く伝承が途絶えていた。村岡さんらは1991年に保存会を結成し、一関市の団体から指導を受け、93年に正式な伝承団体として認められた。地元小中学校で踊りを教えたり、イベントに参加したりし、2002年に町の無形文化財に指定された。
 林准教授は「一度途絶えた伝承の復活には、技能、知識、機会などさまざま条件がそろわなければならず、並大抵ではない。しかも、水戸辺では今回の津波で2人の若者も失った。私たちが支援することで、活動再開のきっかけにしてほしかった」と説明する。
 震災後、活動を再開したことを聞きつけ、あちこちから出演依頼が舞いこんでいる。村岡さんは「途切れさせず、今、踊っていることが大事。これからも伝え続けていきたい」と意気込む。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110825_06.htm

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「People’s Republic of China」。中国は東日本大震災発生直後に支援物資の一部としてテント900張を日本に送ったそうなので、その中のひとつなのであろう。他の場所でも同種のテントをしばしば見かける。

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「JF戸倉出張所」。

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「第1種:三戸辺漁港
 所在地:宮城県元吉郡
     南三陸町戸倉字 水戸辺漁港
 管理者:南三陸町
 所管 :水産庁」

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堤防に上ってみる。正面は松崎。

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中央の白い建物は「南三陸ホテル観洋」。

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大きな岩の上に奇妙な形をしたものが置かれている。

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大船渡市の碁石海岸で、このような形の石に「えびす」と書かれた木札がつけられているのを見たことがある。

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宗教的な碑かと思ったが、「風雪磨人」とある。周囲に散乱する岩等を見ても、明確に寺社の跡と判断できるものはない。

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結局、どういう場所だったのかはよく分からず。

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車を停めておいた場所に戻る。白いテントの脇で、数人が何やら協議中。

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坂道を登って国道398号線に出る手前に掲示板がある。

「行山流鹿踊(八鹿踊り)発祥の地
 ここは(旧水戸辺村=現在の水戸辺・在郷・波伝谷・津の宮)伊達藩領北部に伝わる行山流八鹿踊りの発祥地です。
 水戸辺村住人伊藤伴内持遠を元祖として元禄年間(一六八八〜一七〇三年)から各地に広まりました。
 一関市舞川地区に伝わる伴内の花押入り巻物(踊り伝授書-元禄十三年のもの)には弟の水戸辺村五郎、関の上三介に伝えられ更には元吉郡入谷村四郎兵衛(入谷八幡神社に踊りを奉納した者として「入谷古今集」に記述有)によって各地に広められた事や、登米の殿様より「輪違い紋」の使用を許された事等記載されております。
 当時志津川産の生糸が品質優秀な事から伊達藩領内隅々から技術の習得や交易のため人々がこの地に集まり、そして芸能の交流が行われ、それが今日まで五穀豊穣の祈願・災厄を払う踊りとして伝承されたものと思われます。
 この地に建立している躍供養碑は享保九年(一七二四)八鹿踊りを記念して作られたものです。
  昭和五十八年一月
   志津川町教育委員会
   財団法人宮城県文化財保護協会」

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コンクリートの階段横に小さな石仏が横たわっている。

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倒れた木柱には下の掲示板と同趣旨の記載があり、最後に「(昭和五十七年 一九八二年四月発見)」と記されている。

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躍供養碑のある場所から水戸辺漁港を見る。

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posted by 神宮威一郎 at 15:05| Comment(4) | 南三陸町
この記事へのコメント
神宮威一郎様 はじめまして こんにちは
藤田象観(H.N)と申します。
探し求めていた行山流鹿躍り供養碑のだいたいの所在を、貴ブログで知り、行ってまいりました。
碑文が肉眼では読み取れないことは残念でしたが、その地を訪ねることができましたこと厚く御礼申しあげます。拙ブログにも近々アップしたいと思っております。有難うございました。
Posted by 藤田象観 at 2012年03月19日 18:18
藤田さん
お役に立つことができて、私もうれしいです。
充実したブログですね。
Posted by 神宮 at 2012年03月20日 06:09
神宮様
神宮様より簡単な記事ですが、さきほど、アップさせていただきました。貴記事から多くを学ばせていただきました。有難うございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
http://d.hatena.ne.jp/kanjisin/20120317#p2
Posted by 藤田象観 at 2012年03月20日 14:28
藤田さん
拝見させていただきました。
いろいろ工夫されていて、とても参考になります。
グーグルアースは全体像をつかむのに一番良いみたいですね。




Posted by 神宮 at 2012年03月22日 08:47
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