【更新日:2013年4月3日】
「2011年9月の磯ノ上稲荷神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/64330368.html
「2011年12月の磯ノ上稲荷神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/51675182.html
「山田神社遷座祭・復興祈願祭」(その5)
http://chingokokka.sblo.jp/article/54193284.html
「2012年6月の磯ノ上稲荷神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/64241723.html
「2012年8月の磯ノ上稲荷神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/64329550.html
「磯ノ上公園」の反対側(海側)にある高台から公園を見る。
右に「山田翁銅像」跡、左に「八澤浦干拓記功碑」。
背後に広大な八沢浦干拓地。
「磯ノ上正一位稲荷神社」
「父母妹 永眠 2011.3.11」
新聞記事のコピーが数枚、クリアファイルに入れられて置かれていた。
手書きで「H23.6/24(金)毎日」と記されていたので、毎日新聞の福島版と思われる。
「ラジオ福島 RFC通信 大和田新アナウンサー
4月2日、リスナーから長い手紙が届いた。内容は、相馬市磯部地区の津波による壊滅的な状況を伝えるものだった。毎日がれきの中で娘を捜し回る父。港に立ち、横転した船をぼうぜんと見つめる漁師。餌を求めてあてもなく歩き回る犬。その時、ラジオからの「頑張ろう!」のメッセージがむなしく聞こえた。悲しくてラジオのスイッチを切った。手紙は最後に「現場を見てからものを言え!」と締めくくっていた。
その手紙を受け、私は4月5日から毎週被災地を取材し、レポートしている。その中で、私には忘れられない場所がいくつかある。その一つが南相馬市鹿島区海老地区の高台。海面から10メートルのこの高台には、津波で破壊された新築の家の土台だけが残っている。そして太平洋を背にして手作りの墓標。いつ来ても、きれいな花が手向けられている。墓標には、「父・妹・永眠2011・3・11」と手書きで記されている。しかし、5回目に訪れた5月30日、父と妹の間に「母」という一文字が加えられていた。
この震災で県内では1500人が亡くなり300人が行方不明になっている。その数字を何度アナウンスしても、被害の甚大さや命の大切さは伝わらない。
美しいバラの花が手向けられていた。母が好きだった花だったのだろうか。6回目の訪問は、6月13日。タレントのカンニング竹山さんと一緒だった。カンニング竹山さんは長い時間墓標に向かって手を合わせていた。」
高台の端から北方向の海岸線を見る。
少し右。
更に右。
南方向。
黄色とオレンジのマリーゴールド。