2011年12月22日

大山講

【掲示板に投稿した記事を転載します。】

大山講 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年12月22日(木)06時13分0秒

「比較的分布地域が限定されている講」の例として、大山講についても『国史大辞典』を引用しておきます。
なお、『国史大辞典』は改行が一切なく、びっしりと書かれているのですが、さすがに掲示板では読みにくいので、適宜改行しました。「代参講」「伊勢講」も同様です。

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おおやまこう 大山講

 相模の霊山大山へ登拝することを目的に結集された信仰集団。雨乞に霊験を示すというので、はじめは山麓農村からの信者の崇拝をうけていた。真言修験の道場となってからは、山伏が先達となって信者を案内する風がおこり、相模原を中心に崇敬結社の講が形成されるに至った。
 成立の時期は明らかでないが江戸時代になると、本山の雨降山大山寺が積極的な布教を心がけ、その霊験性をかかげる祈祷札を村々に配布して廻ったり、信者から初穂や祈祷料を徴収する御師檀廻の制度が確立した。そのため大山講は相模のみならず関東・東海地方にくまない成立をみせた。
 奥の院に石尊大権現を祀ることから、例祭の時と六月二十八日に参拝するのを特に大山詣りまたは石尊詣りといった。
 一般に六月中の登拝を初山といい、七月十三日から十七日の盂蘭盆期間中の参拝を盆山と称し、以前はそれ以前の入山は厳禁されていた。
 近世の江戸市中では、ことに盛んな大山詣りが行われ、町内の各所にしきりと大山講の結成がみられ、落語の題材に採用されるほどの盛況をみせた。それにつれて入山の規制も弛められ、夏季は登拝の道者が群をなして雑踏をきわめた。
 江戸で結成された大山講の石尊参りは、まず両国川で水垢離(みずごり)をとってから白衣に着換え、先達の案内で出発する。講員は各自に大願成就と墨書した木太刀を携え、これを奥の院本尊の前へ奉納し、すでに奉献してあるものと交換して持ち帰り、家の神棚に安置して護符とした。
 木太刀の奉納は、石尊社の神体の石剣にあやかったと伝えられ、形の大きなものを誇りとする風があった。
 当時殷賑をきわめた大山街道の道しるべは、今も東京都の近郊に建っている。

[参考文献]村上専精・辻善之助・鷲尾順敬編『(明治維新)神仏分離資料』中、桜井徳太郎「門前町の移り変わり─宗教都市成立の歴史民俗学的考察─」(『祭りと信仰』所収)
桜井徳太郎
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posted by 神宮威一郎 at 06:13| Comment(0) | 過去ログ(代参、非公開)
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