2011年12月17日

草野・綿津見神社、午後1時

山津見神社と重複するが、こちらにも『河北新報』2011年9月16日記事を引用。

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「地域見守る二つの神社 事故前と同じ営み貫く 飯舘

 福島第1原発事故で計画的避難区域となり、全村避難を強いられている福島県飯舘村で、二つの神社が避難後もずっと拝殿を開け住民の平和な日常の回復を祈っている。ほとんど住む人のなくなった村に四手(しで)を飾った普段通りのたたたずまいを残し、一時帰宅する住民の心のよりどころにもなっている。
 二つの神社は、山の神が鎮座するとされる山津見(やまつみ)神社と、飯舘の氏神様を祭る綿津見(わたつみ)神社。全村避難で村内は商店も公共施設もほとんどが閉鎖状態となっているが、両神社は原発事故前と同様に日々の営みを貫くことを選んだ。
 山津見神社へは毎日、祢宜(ねぎ)の久米順之さん(43)が福島市の自宅から通う。氏子や地域住民らがいつでも立ち寄れるよう、朝から夕方までとどまっている。お守りやお札の授与所も開けており、いつもの神社の雰囲気と変わらない。
 「全村避難になったが、村への出入りは自由。神社を開け続けることに迷いはなかった」と久米さん。原発事故前に比べ数はだいぶ減ったが、お参りに来る人が途絶える日はない。「ここにいて奉仕し続けることが務めだ」と語る。
 綿津見神社宮司の多田宏さん(64)は毎朝7時に神社でお勤めし、村に平穏な日々が戻ることを願う。本殿に明かりをともして、来訪者の言葉に耳を傾ける。避難によって、家族や地域の人が散り散りになったことへの悩みを訴える人が多いという。
 多田さんは「神社はずっと、地域とそこに暮らす人たちと共に歩んできた。原発事故に伴う困難に直面した飯舘の、精神的な支柱としての役割を果たしたい」と話している。

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何故飯舘村に防空監視哨があったのか、背景の事情を知らないが、とりあえず転記しておく。
「  記念碑
    碑文
元九番新館防空監視哨
昭和十六年四月十四日草野館山城跡に設立
我が国土防衛の第一線として村内の若者達が
全身全霊を尽くして努力勤務する
大きな感動を求めて成長し
昭和二十年八月十五日天皇陛下の玉音放送によって戦争
の終結を迎えてからここに過去を忍び記念碑を建立に及ぶ
 若者よ感動を求めよ
  心の目早く開けば己が宝ぞ」

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「忠魂碑」。

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鳥居の前から南方、草野小学校のある高台を見る。

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パンダの「防水弁」(?)とウサギの「仕切弁」。前回訪問時(9月)、つる草の葉でパンダとウサギの顔が殆ど見えなかったが、すっかり葉が落ちた。
posted by 神宮威一郎 at 13:00| Comment(0) | 飯舘村
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