【投稿日2012年2月27日】
『福島民報』にて下記記事を見たので、磯ノ上公園を訪問してみた。
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津波で流失、山田神社に仮社殿 球磨工高(熊本)贈る
津波で流失した相馬市蒲庭の山田神社に、熊本県人吉市の球磨工高が仮社殿を贈る。国内唯一の宮大工養成コースの生徒が10年以上前に製作、学校の顔として玄関に飾っていた作品。26日、高台の南相馬市鹿島区北海老の磯ノ上公園に遷座する。
神社は、南相馬、相馬両市にまたがる約350ヘクタールの八沢浦干拓事業の功労者山田貞策氏をたたえて昭和16年に建立された。農業の神大年神を祭り、豊作を祈願する地区民の心のよりどころだった。大津波が干拓地を襲い、神社は土台を残して流失した。地区の住民40人が犠牲になった。
南相馬市でボランティア活動をしていた熊本県苓北町にある志岐八幡宮宮司の宮崎国忠さん(66)が、山田神社の神職森幸彦さん(53)と知り合ったのがきっかけ。宮崎さんは同県人吉市にある青井阿蘇神社の福川義文宮司と協力、球磨工高に寄贈を働き掛け、山田史郎校長が快諾した。
仮社殿は高さ、幅とも2メートル。ひのき造り銅板ぶきで、細かい装飾が施されている。伝統建築専攻科の生徒が屋根を磨き、鳥居も製作した。年末年始は仮社殿を青井阿蘇神社に安置し、参拝者から搬送費用の寄付を仰いだ。
26日は磯ノ上公園で、早朝から生徒らが設置作業を行う。午前9時半から森さんが斎主、宮崎さんが副斎主を務め、遷座祭と復興祈願祭を執り行う。
森さんは「高校生の若いエネルギーがこもった社殿は、みんなの心に希望の灯をともしてくれる」と話している。
(2012/02/23 09:55)
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4107&blockId=9938226&newsMode=article仮社殿設置の経緯はfacebookの「相馬市蒲庭字孫目鎮座 山田神社 仮社殿設置について」(「国宝 青井阿蘇神社」作成)に詳しい。
http://www.facebook.com/note.php?note_id=233675446727043
「人吉市 青井運送」


県道74号線(原町海老相馬線)。

「磯ノ上公園」の2011年11月3日時点の様子はこちら。
http://chingokokka.sblo.jp/article/54130078.html
遷座祭は午前9時半分開始とのことであったが、まだ準備中だった。前日、相馬地方の沿岸部としては珍しく大量の降雪があり、当日は晴れたが、地面はぬかるんでいる。熊本県立球磨工業高校の生徒は午前6時半から設置作業を行っていたという。






左の大きいのが「八沢干拓開墾成功記念碑」で、右は「記功碑寄附金芳名録」。右の碑は津波で倒された。

北側に用水池と堤がある。「磯ノ上公園」はもともと山田貞策の居宅のあった場所とのこと。

「南柚木公民館」





球磨工業高校伝統建築専攻科の女生徒。








東側(海側)の磯ノ上稲荷神社のある高台を見る。
posted by 神宮威一郎 at 09:30|
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南相馬市鹿島区