2012年01月29日

「まきばのジャージー」と細川牧場、午前11時40分

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相馬市から国道115号線(中村街道)を福島市方面に進むと、奥深い山の中に、右へ行けば「霊山こどもの村」、左は佐須峠を経て飯舘村へ向かう交差点がある。
その手前、200メートルほどのところに地元で評判のアイスクリーム店、「まきばのジャージー」がある。
夏はすごい混雑で、順番待ちが大変。
さすがに冬場はそれほどでもないが、私が店内で結構な分量の「ダブル」300円を食べている間にも若い女性のグループや老夫婦が訪れ、客足の途絶えるときがない。

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姉妹店の「菜の花 まきばのジャージー直売所」。

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福島市方面。

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なかなかお洒落な店内。

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佐須峠を経て飯舘村に入り、虎捕の山津見神社へ行くが、曇りがちであったので参拝と撮影は後回とし、臼石の細川牧場に向かう。
細川牧場に近づくと牛が見えてきたが、雪深い時期は牧場の隅に集めている様子だった。
更に進むと道路脇に牧場の人の車と警察車両2台の合計3台が止まっていて、何やら話をしていた。
私は別に警察官に職務質問されて困るようなことはやっていないが、わざわざ警察官と話したいとも思わないので、牛の撮影は後回しと決め、警察車両の横を素通りして細川牧場の正面のみを撮影することにした。

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雪の中のドジョウ掬い。

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臼石の交差点方面。

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ここから先の写真は約1時間後に細川牧場に戻ってきたときの様子。
舗装道路から牧場の東の端まで下って行く道。正面奥に牛が集まっているほか、右の柵の奥にも牛がいる。(要拡大)

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西側、牧舎の方を見る。

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横目で睨まれる。

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強風で雪煙が上がる。

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舗装道路に戻る。
posted by 神宮威一郎 at 11:40| Comment(0) | 飯舘村

2012年01月28日

更新情報

長面と尾崎 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 1月28日(土)10時59分52秒

北上総合支所の対岸、長面(ながつら)地区と尾崎地区を昨年9月11日に訪問した時の様子をアップしました。

「早朝の大川小学校」
http://chingokokka.sblo.jp/article/53334816.html
「長面」
http://chingokokka.sblo.jp/article/53335056.html
「尾崎・口脇稲荷神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/53336919.html
「尾ノ崎橋周辺」
http://chingokokka.sblo.jp/article/53340187.html
「海蔵庵」(その1)
http://chingokokka.sblo.jp/article/53340572.html
「海蔵庵」(その2)
http://chingokokka.sblo.jp/article/53341285.html


23日に参詣した「十三浜長塩谷・春日神社」には数多くの板碑が無造作に置かれていたのですが、海蔵庵の板碑と較べてみると、素人目にはそれなりに古いもののように感じるのですが、どうなんですかね。
鎌倉まで行かなくとも、南北朝くらいのはあるのではないかと思うのですが。

http://chingokokka.sblo.jp/article/53325026.html
posted by 神宮威一郎 at 10:59| Comment(0) | 更新情報

2012年01月23日

十三浜長塩谷・春日神社、午後3時

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北上総合支所から国道398号線(神割ロード)を神割崎方面に向かって1キロほど行くと長塩谷の集落がある。
「白浜トンネル」入口のすぐ手前に春日神社が鎮座する。

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瓦礫はほぼ撤去されていたが、十数名の人がビニール袋を持って何やら作業をしていた。

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多数の板碑が無造作に置かれている。
私は板碑のことはよく分からないが、梵字の字体と彫り方を見る限り、意外と古いものなのではないかと感じる。
詳しい方はご教示願います。(要拡大)

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「春日神社」。

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既に閉鎖されている宮城県神社庁の「災害用掲示板」には、この仮社殿は2011年7月9日に東京都神社庁台東区支部「下谷神社」の阿部宮司が搬入された旨の記述があった。

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作業をしている人は鎌を手にしているので、ガラス等の危険なものを取り除いているのだろうか。

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海面から10メートル以上の高さがある幹の部分に、津波の際の流出物が引っかかっている。

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追波湾を隔てて6キロメートルほど離れたところにある石巻市雄勝町の船越集落。
中央の白い建物が船越小学校。
その右の白い網のようなコンクリート壁の上に鎮座するのが船魂神社。(要拡大)

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対岸、2キロメートルほど離れたところにある走ヶ崎。

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いくつかに折れた石鳥居は下の方に集められていた。

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少し前から車が停まっていたが、巡回バスから子供が降りるのを待っていたらしい。

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損傷した水門の横から海を見る。

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春日神社を振り返る。
posted by 神宮威一郎 at 15:00| Comment(0) | 石巻市北上町

北上町十三浜・北上総合支所、午後2時45分

指定避難場所だった北上総合支所では54人が亡くなった。
以下、『河北新報』2011年6月4日の記事を引用。

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その時 何が(18)生存率5%(石巻市北上総合支所)

◎指定避難所、無念の大破/「宮城沖」想定超える
 北上川河口に近い石巻市北上総合支所の庁舎は、3月11日の東日本大震災で津波の直撃を受け、全壊状態となった。庁舎には少なくとも57人の住民や職員らがいたとみられるが、無事が確認されたのは男性職員2人と小学4年生の男子児童1人だけだった。庁舎は指定避難所だったにもかかわらず、生存率はわずかに5%。多くの人が犠牲になってしまった。
 「支所に避難したから心配ないよ。子どもたちも遊んでる」
 午後3時15分ごろ、建設会社従業員だった岡一也さん(33)は宮城県松島町の現場からの帰り道、妻裕美さん(32)から電話を受けた。明るい声で長女の吉浜小1年優心さん(7)、次女彩巴ちゃん(1)も一緒だという。
 「大丈夫だな」と思ったが、それが最後の会話となった。
 地震直後から、支所には近所の人が集まっていた。近くのデイサービスセンターを利用していた高齢者も職員に付き添われて避難していた。
 支所に立ち寄った消防団員の燃料販売業佐々木正人さん(49)は、知り合いの裕美さんに「山の方に行かないの?」と声を掛けた。裕美さんは妹やめいとも一緒で、「後で母もこっちに来るはずだから」と答えた。
 佐々木さんは「庁舎の2階まで津波が来るとは想像しなかったが、車で避難できるなら、近くの高台の方がいいのでは、と思った」と振り返る。
 2006年に新築された庁舎は、鉄骨木造2階で延べ床面積は約2400平方メートル。宮城県沖地震で想定される津波が高さ5.5メートルだったため、建物は1メートル高い海抜6.5メートルの場所に建設された。
 1、2階それぞれに支所の事務室と公民館部分があり、津波の際は公民館部分の2階多目的研修室に住民を避難させる計画になっていた。
 「多目的研修室、住民31人の避難完了」。午後3時10分ごろ、2階事務室で災害対応に当たっていた支所地域振興課の今野照夫さん(50)に同僚から報告が入った。
 約10分後、支所と吉浜小の間の小川を津波がさかのぼった。水かさがみるみる増し、津波は事務室に流入。今野さんは「窓や壁もろとも外に押し流され、ものすごい水の勢いで地面に押しつけられた」という。
 何とか浮かび上がり、がれきにつかまった。何度も気を失いながら漂流し、寒さでもうろうとしつつ民家に流れ着いた。
 北上総合支所によると、職員38人のうち津波の襲来時に庁舎にいたのは19人。ほかに警察官や消防職員、警備会社員ら7人もいたが、無事だったのは今野さんら職員2人。住民「31人」のはっきりした内訳は分かっていない。救助されたのは4年生の男子児童だけだ。
 会社員千葉守さん(45)の長女で吉浜小6年の美里さん(12)と、千葉さんの母ゆり子さん(62)も支所にいたとみられる。地震前、公民館の図書室にいる美里さんを吉浜小の教諭が確認している。孫を迎えに向かうゆり子さんの姿も近所の人が見ていた。
 2人は今も行方不明。「美里は、毎週のように単身赴任先の仙台に手紙をくれる優しい子だった」と千葉さん。無念さと割り切れなさが募る。
 「津波で壊滅する建物がなぜ避難所なのか。高台に避難者を誘導すべきだったのではないか」
 津波は近くの吉浜小校舎の3階天井まで達した。同校によると、卒業式準備のため学校に残っていた4、5年生の計5人と教職員10人は狭い屋上に逃げ、かろうじて難を逃れた。全校児童49人のうち、死亡・行方不明は優心さんや美里さんを含め7人。いずれも支所にいた可能性がある。(佐藤崇、酒井原雄平)
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1072/20110604_01.htm

2011年8月17日に訪問したときの様子はこちら。
http://chingokokka.sblo.jp/article/53312187.html
http://chingokokka.sblo.jp/article/53313560.html

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この日は最初に北上総合支所前に車を停めて、曇り空の下で周辺の写真を撮り、ついで吉浜小学校を廻った後、車を停めた場所に戻ると急に陽が射してきたので、北上総合支所周辺の写真を改めて撮りなおした。
このミニーマウスのみ最初に撮影したもの。
前回訪問時(2011年8月)はこの前にお線香を上げた跡やペットボトル等があったが、ミニーマウスは横倒しになっており、お供え等もなかった。

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防波堤に上ってみる。
前回訪問時には石段の左に津波で変形した金属製の階段があり、防波堤に直接登れたが、撤去されていた。

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上流方向に少し進む。
黒い土嚢を積んだ仮堤防が本格的な堤防に修復されつつある。

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堤防に上って上流方向を見る。

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反対側、河口方向。

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対岸の長面(ながつら)地区。

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河口なので波が退くことなく、猛烈な勢いで一方的に押し寄せてくる。

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対岸、「走ヶ崎」。

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対岸、長面の集落。
津波前は集落の手前に水田が広がっていた。

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神割崎方面。


posted by 神宮威一郎 at 14:45| Comment(0) | 石巻市北上町

北上町十三浜・吉浜小学校、午後2時30分

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北上総合支所。
2005年に北上町が石巻市と合併する前、ここに北上町役場があった。
総合支所の建物は2006年に新設。
指定避難所とされ、津波の時点では少なくとも57人の住民や職員らがいたとみられるが、生存者は3名のみだった。

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国道398号線を挟んで北上総合支所に隣接する吉浜小学校。
校舎三階の天井まで浸水した。
原口・岩松『東日本大震災津波詳細地図(上)』によれば、この付近の津波浸水高は12.02メートル。吉浜小学校の児童49人のうち、卒業式の準備で残っていた児童6人と教職員は校舎屋上に逃げて助かったが、北上総合支所にいたと思われる児童7人が死亡・行方不明となった。
2011年8月17日に訪問したときの様子はこちら。
http://chingokokka.sblo.jp/article/53313560.html

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時計は2時45分で止まっている。

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国道398号線を渡って、吉浜小学校のプールを見る。
仮堤防の奥に置かれたテトラポッドに波がぶつかって、白い波しぶきをあげている。(要拡大)

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神割崎方向。

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プールの一部が破壊されている。
津波で破壊されたのではなく、捜索時に水抜きのために壊したものと思われる。

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posted by 神宮威一郎 at 14:30| Comment(0) | 石巻市北上町