2011年12月31日

山元町・八重垣神社、午前11時

津波前の境内の様子はこちら。(「宮城の旅」)
http://miyagitabi.com/yamamoto/yaegakijinja/index.html

宮城県神社庁の神社検索ページによると、八重垣神社は次のように紹介されている。
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鎮座地: 宮城県亘理郡山元町高瀬字笠野128
主祭神: 神速素盞鳴尊
例祭日: 旧6月15日
由緒:
 平城天皇の大同2年(807)、丁亥釈徳逸(徳逸大師)の創建するところにして、牛頭天王社又は祇園社と称した。(社蔵棟札)。御神体は後奈良帝の享禄4年(1531)齋(佐井)越前(諱不伝)なる者廻国巡礼の時、筑土に覓めて負来り、神殿に安置すといはれる。(封内風土記)。又、応永16己丑年(1409)2月、藤波尭雄なる者、陸奥按察使に任ぜられ此の地に赴く。同18年6月按察するところの陸奥国の土地民情を奏上した。同7月功に依り本郡の地百町及絹布2匹を賜った。同12月賜うところの地を以って社地並低地に定めた。初陸奥按察の発向するや、伊勢大神宮に詣で事由を告げ、又神祇官より素盞鳴尊の神璽を乞い求め来り、笠野の里に斎き牛頭天王と称し鎮守とした。同19年3月、尭雄神職に任じ祭祀のことを掌る。享禄4年6月15日祭儀を行った。爾来永年となすという。(社伝)。明治2年4月八重垣神社と改称、同6年1月村社に列せられ、同40年3月供進神社に指定された。同42年1月大字小平字北に鎮座せる村社北辰神社をはじめ、同字舘鎮座竹駒神社、大字大平字味噌野の雷神社、大字高瀬字新浜の諏訪神社を合祀した。境内社の熊野神社は貞享3年10月18日、本郡笠野浜本山派修験祇園山宝積院七世秀定なる者の勧請するところである。

宮城県神社庁
http://www.miyagi-jinjacho.or.jp/

「徳逸大師」とあるが、これは最澄と「三一権実論争」を行い、また磐梯山慧日寺を開いた徳一のことであろうか。

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プレハブの社務所。

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「御社殿屋根修復 長床改築協賛者御芳名」

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壊れた鳥居の一部。

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門松。

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この仮社殿は阿佐谷神明宮が寄付し、2011年7月10日に設置されたとのこと。
参考:「阿佐谷神明宮 とよさかブログ」(2011年8月9日)
http://shinmeiguu.com/blog/page/5/

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「金華山」

牡鹿半島の先端に浮かぶ金華山は山元町から直線距離で70qほど離れているが、空気が澄んでいれば八重垣神社近くの海岸からも綺麗に見える。

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「天王丸参拝祈念
 船主 島田茂平治
 船長 小林善三郎
 (以下略)」

金華山碑の裏面。

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山元町「梅香園・福寿の園」、午前10時45分

「梅香園」と「福寿の園」は実質的に一体となった施設で、死者・行方不明者合計82人。
数だけみれば大川小学校を超える最大級の被害が発生した場所であるが、現在は山元町の災害廃棄物置場となっている。
以下、『河北新報』9月18日の記事を引用。

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津波犠牲、痛恨の極み 合同慰霊祭で追悼 山元の養護施設

 東日本大震災の津波で施設入所者と職員計81人が死亡、入所者1人が行方不明になった宮城県山元町の養護老人ホーム「梅香園」とケアハウス「福寿の園」を運営する社会福祉法人「静和会」の合同慰霊祭が17日、同町中央公民館で営まれた。
 遺族ら約320人が参列。静和会の北島宏一会長(75)は「大勢の方々の掛け替えのない命を守れなかったことは痛恨の極み。犠牲者と遺族に心からおわびしたい」と謝罪した。
 「梅香園」に入所していた姉佐藤しめよさん=当時(103)=を亡くした仙台市太白区の主婦加藤すゑ子さん(86)は「姉をはじめ大勢の方が亡くなり、言葉もなく泣くだけだった。ご冥福を祈りたい」と述べた。
 山元町の会社員斎藤修さん(46)は、梅香園の介護課長だった妻節子さん(57)を失った。節子さんは勤続26年の「最古参」で、震災時は避難誘導の陣頭指揮を執った。斎藤さんは「天国でも同僚、入所者の方々と仲良くしてほしい」と節子さんに呼び掛けるように語った。
 梅香園では入所者42人と職員20人の計62人が死亡、入所者1人が行方不明。併設のケアハウス「福寿の園」では入所者16人、職員3人の計19人が犠牲になった。
 清和会が山元町で運営する施設では、ほかにデイサービスセンター「知楽荘」で利用者4人、職員2人の計6人、非番で自宅にいた特別養護老人ホーム「みやま荘」の職員1人も亡くなった。
(後略)
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110918_16.htm

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「立入禁止」の掲示はあるが、工事は行っていない。
「梅香園」・「福寿の園」には他の入り口から複数の遺族らしき人たちが入って、園内を見ていた。

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「工事中」
「路肩注意」

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「ご迷惑をおかけします
 伐採作業等をおこなっています
 平成24年1月31日まで
 時間帯 8:00〜17:00
 平成23年度 ※※※1-002号
 二次仮置場立木伐採等工事
(亘理名取ブロック(亘理処理区及び山元処理区))
 工事金額 85,200,000円
 発注者 宮城県環境生活部 震災廃棄物対策課施設管理班
 施行者 株式会社宮城県林業開発センター」

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「社会福祉法人 静和会
 養護老人ホーム 梅香薗」

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「オイルタンク(A重油)」

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「※※福祉法人 静和会
 特※※※老人ホーム みやま荘」

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「社会福祉法人 静和会
 ケアハウス 福寿の園」

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東方向。
仮防波堤の黒い土嚢。

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主要地方道38号線(相馬亘理線)寄りに少し戻った地点からの遠景。

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山元町「梅香園・福寿の園」近くの海岸、午前10時30分

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普門寺駐車場から海に向かう。
奥に見えるパステルカラーの建物が、津波で施設入所者と職員合計81人が死亡し、入所者1人が行方不明になった養護老人ホーム「梅香園」と併設ケアハウス「福寿の園」。

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「立入禁止」の表示はあるが、大晦日なので工事はしていない。

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黄色い階段がある。

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階段を上ったところで振り返る。

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北方向。
防波堤は黒いビニールシートで覆われている。

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南方向。

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北方向、亘理町の「鳥の海公園」。

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北方向、海に突き出た防波堤。

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南方向。
奥に「相馬共同火力発電所」。

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南西方向。
「梅香園」と「福寿の園」の建物。

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東方向。

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北方向。

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南方向。

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帰路に就く。

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posted by 神宮威一郎 at 10:30| Comment(0) | 山元町

山元町・浄正寺、午前10時

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青巣稲荷神社から50メートルほど離れたところに「浄土宗・浄正寺」の案内板。

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同じ場所に置かれていた碑。

「岩佐清平翁頌徳碑
松柏天飆に吠え濤声地を揺がす景勝花釜の地に巨歩を踏んだ大先覚者 岩佐清平翁の頌徳碑建立に当り余にその文を嘱された 郷土隣人として欣快に堪えない 翁は強直で清廉安易な妥協を許さない性格であるが後輩に対しては親切委曲を尽して指導する人であった 明治九年当町大平に呱々の声を挙げ長じて当地の旧家岩佐吉治氏の跡を継ぎ蚕種業経営に精魂を傾倒した 当時の生糸は日本の基礎産業輸出の大宗なるにも拘らず郷土養蚕業は極めて稚弱であった 翁は深くこれを歎じ飼育法の改良と共に蚕種の研究を重ね遂に白絹の固定化に成功し農家経済の安定に寄与しかたわら練炭の使用を奨め暖房革命を招来して屋号清陽館の名声を斯界に馳せた 又トマト葡萄苺等の栽培にも先鞭をつけ率先勧奨殊に苺においtげは地域の重要特産物たらしめ更に銘記すべきは農産物加工の鼓吹で葡萄酒苺酒の醸造葡萄液の製法等何れも現下業界の基盤を作った 一方翁は六十七年の生涯中消防組小頭学務委員村会議員等の公職に半生を捧げしかも幾多の功績を遺した事は郷土の等しく敬仰するところ今茲に在りし日の翁の長身痩躯白頭の容姿を偲びつつ郷党有志相寄り相集い翁の徳と行を讃え永くこれを後世に伝えんとするものである
昭和四十一年 春分の日 
   岩佐 浩文
 静山菊地忠一書
   金田文男刻」

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案内板近くの住宅。

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墓地の復旧が進んでいる。

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「三界萬霊」

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整地された住宅跡に立派な犬小屋があった。
飼い主が犬と一緒に暮らせない環境となったので、犬だけ元の住所に住まわせているらしい。

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警戒して吠えまくる。

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近寄って行くと一転、人懐こく寄ってくる。
ただし、写真を撮られるのは嫌いらしく、カメラを向けるとそっぽを向く。

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さようなら。また会おう。
posted by 神宮威一郎 at 10:00| Comment(0) | 山元町

山元町・青巣稲荷神社、午前9時30分

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「テラセン(お寺災害ボランティアセンター)」という団体が活動の拠点としている曹洞宗・普門寺の駐車場に車を置かせてもらう。
http://ameblo.jp/teracen/

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普門寺から100メートルほど離れたところにある青巣稲荷神社に向かう。

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「テラセン」の人たちが何やら作業をしている。

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「青巣神社に鐘を
 この鐘は普門寺・お寺災害ボランティアセンターの呼びかけにより集まったボランティアにより設置されました。この鐘が地域再生のきっかけとなることを願っています。」
 作業をしている人に聞いたところ、この鐘はもともと青巣神社にあったが、津波で流出したので普門寺で保管していたとのこと。

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「昭和天皇御在位五十年記念」

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「昭和五十二年四月三日
  寄進 氏子一同」

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社殿があるべき位置に簡易物置のようなものがある。

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カエルがいる。

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カエル信仰の神社ではなく・・・。

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「青巣稲荷神社」。
宮城県神社庁では流出した神社にこのような柱を立てている。

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少し離れたところから望遠で撮影。

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寄せ書きでびっしり埋まった「テラセン」の軽自動車。
posted by 神宮威一郎 at 09:30| Comment(0) | 山元町