2011年11月03日

2011年11月の金砂神社、午後0時15分

【投稿日:2013年3月31日】

「2011年8月の金砂神社周辺」
http://chingokokka.sblo.jp/article/64127896.html
「2011年9月の金砂神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/64164585.html
「2011年12月の金砂神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/51669556.html
「2012年6月の金砂神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/64202646.html
「2012年8月の金砂神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/64323445.html


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竹駒稲荷神社から金砂神社に移動。

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丸石で円形に囲まれたマルバシャリンバイ(丸葉車輪梅)。

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2か月前と比べると、周囲が木の支柱と注連縄で囲われ、祠の土台が平積みの軽量ブロックから上下三段のコンクリートブロックに替っていた。

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北方向。
奥の高台に山田神社がある。

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反対側、南方向。
奥は原町火力発電所。
手前の防波堤が決壊した場所に人がいる。

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拡大。
3人の人物の奥、原町火力発電所の北側に、上方へ末広がりとなっている巨大な構築物が見える。
何かは分からず。

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西方向。
中央に竹駒稲荷神社。(要拡大)
金砂神社と竹駒稲荷神社の間に一本だけ残っていた喬木は、2012年4月3日の「爆弾低気圧」で倒れてしまった。
posted by 神宮威一郎 at 12:15| Comment(0) | 南相馬市鹿島区

2011年11月の南海老・竹駒稲荷神社、午後0時10分

【投稿日:2013年3月30日】

「2011年12月の南海老・竹駒稲荷神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/51669155.html
「2012年2月の南海老・竹駒稲荷神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/54173336.html
「2012年6月の南海老・竹駒稲荷神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/64243550.html

高台の山田神社・磯ノ上稲荷神社から竹駒稲荷神社に移動。

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海側から西方向を見る。
赤土が敷かれていた。

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石灯籠の土台と最上部だけが残っている。
木製の支柱には「竹駒稲荷神社」の墨書。
注連縄の中央には三つ重ねられた丸石と榊。(要拡大)

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後方に回る。
左奥、一本だけ残った木の先に金砂神社がある。(要拡大)

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丸石と榊。

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あまりに素朴なご神体だが、神道の原点のようにも思われる。

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南方向。
中央・奥には原町火力発電所の煙突。(要拡大)

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神社の後の道路から南方向を見る。
瓦礫撤去作業がかなり進展している。

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同じ位置から少し右。
南西方向。

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同じ位置から東方向。

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11月に入っているのに朝顔が咲いている。

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こちらは周囲が少し虫食い状態。


posted by 神宮威一郎 at 12:10| Comment(0) | 南相馬市鹿島区

2011年11月の磯ノ上稲荷神社、午後0時

【投稿日:2012年2月24日】
【更新日:2013年4月3日】

「2011年9月の磯ノ上稲荷神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/64330368.html
「2011年12月の磯ノ上稲荷神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/51675182.html
「山田神社遷座祭・復興祈願祭」(その5)
http://chingokokka.sblo.jp/article/54193284.html
「2012年6月の磯ノ上稲荷神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/64241723.html
「2012年8月の磯ノ上稲荷神社」
http://chingokokka.sblo.jp/article/64329550.html


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「磯ノ上公園」の反対側(海側)にある高台から公園を見る。
右に「山田翁銅像」跡、左に「八澤浦干拓記功碑」。

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背後に広大な八沢浦干拓地。

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「磯ノ上正一位稲荷神社」

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「父母妹 永眠 2011.3.11」

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新聞記事のコピーが数枚、クリアファイルに入れられて置かれていた。
手書きで「H23.6/24(金)毎日」と記されていたので、毎日新聞の福島版と思われる。

「ラジオ福島 RFC通信 大和田新アナウンサー
 4月2日、リスナーから長い手紙が届いた。内容は、相馬市磯部地区の津波による壊滅的な状況を伝えるものだった。毎日がれきの中で娘を捜し回る父。港に立ち、横転した船をぼうぜんと見つめる漁師。餌を求めてあてもなく歩き回る犬。その時、ラジオからの「頑張ろう!」のメッセージがむなしく聞こえた。悲しくてラジオのスイッチを切った。手紙は最後に「現場を見てからものを言え!」と締めくくっていた。
 その手紙を受け、私は4月5日から毎週被災地を取材し、レポートしている。その中で、私には忘れられない場所がいくつかある。その一つが南相馬市鹿島区海老地区の高台。海面から10メートルのこの高台には、津波で破壊された新築の家の土台だけが残っている。そして太平洋を背にして手作りの墓標。いつ来ても、きれいな花が手向けられている。墓標には、「父・妹・永眠2011・3・11」と手書きで記されている。しかし、5回目に訪れた5月30日、父と妹の間に「母」という一文字が加えられていた。
 この震災で県内では1500人が亡くなり300人が行方不明になっている。その数字を何度アナウンスしても、被害の甚大さや命の大切さは伝わらない。
 美しいバラの花が手向けられていた。母が好きだった花だったのだろうか。6回目の訪問は、6月13日。タレントのカンニング竹山さんと一緒だった。カンニング竹山さんは長い時間墓標に向かって手を合わせていた。」

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高台の端から北方向の海岸線を見る。

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少し右。

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更に右。

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南方向。

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黄色とオレンジのマリーゴールド。

posted by 神宮威一郎 at 12:00| Comment(0) | 南相馬市鹿島区

磯ノ上公園、午前11時50分

【投稿日2012年2月23日】

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八沢浦干拓地を見渡すことができる高台に「磯ノ上公園」がある。

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「山田翁銅像記」

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「銅像寄附者芳名」

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南方向、「八沢干拓開墾成功記念碑」を見る。

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「記功碑寄附金芳名録」

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「八沢浦干拓記念」

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裏面
「昭和十年五月建碑
   主唱者
 八澤浦開墾※
 八澤浦産業株式会社
 八澤浦共栄組合
 八澤浦新興青年団」

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「山田翁銅像記」碑に戻り、北方向を見る。

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北西方向を見る。右の白い建物が「八沢排水機場」。(要拡大)

posted by 神宮威一郎 at 11:50| Comment(0) | 南相馬市鹿島区

八沢排水機場・山田神社(その2)、午前11時30分

【投稿日2012年2月23日】

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小さな木彫りの大黒天像がある。

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本殿跡と思われる。

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本殿跡の真下から奥は津波により深く抉られて池のようになっている。

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本殿跡から参道とその上の瓦礫を振り返る。

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本殿跡の真下が深く抉られていて、半ば中空に浮かんだような状態になっている。

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排水機場の内部。

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正面、磯ノ上稲荷神社のある高台。

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「上立切橋」の工事現場の方向。

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南西方向。八沢浦干拓地の山際の部分には崖に横穴を掘っているところが多い。倉庫として使っていたものか。

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県道74号線から八沢排水機場を振り返る。
posted by 神宮威一郎 at 11:30| Comment(0) | 南相馬市鹿島区